ここはサイト-███の食堂内。
沢山の職員たちが日々をすごしています。
『真家研究助手、カレーうどんなんか食べないでください。汁が飛んで汚れたら困ります。紙にカビが生えたらどうするんですか』
「そんなこというなら閉じますよ、神宮寺博士」
『閉じられたら何も見えないで気が滅入るじゃないですか!』
「ソフトクリームのバニラ3つお願いします」
『そんなに食べて腹壊さないんですか?堀田博士』
「甘ければ何をどれだけ食べても大丈夫だよ?」
『全女性の敵ですね』
「すみません、虎屋博士でしょうか」
食堂の片隅で、唐揚げに一つ一つ断りを入れながら食べる少女めいたおかっぱの女性は来栖朔夜研究員補佐だ。以前、サイト-8181で虎屋博士の頭におろし大根と生姜とポン酢をぶちまけ、捕食しようとして叱責されたことから、この奇矯な習慣が身についている。
来栖研究員は唐揚げが大好きだ。一時期困窮していた時は、コンビニの唐揚げ弁当ばかり半年間食べていたこともある。唐揚げを食べるだけで幸せになれる、大変効率的な性格なのだが――ことサイト-8181では事情が違った。なにしろ揚げたてホカホカの唐揚げが通路を歩き、食堂にいるのだ。彼女としては食欲をそそられると同時に、それを食べてはいけないという禁忌の二律背反に悩まされていた。
その代償行動として、来栖研究員は唐揚げ定食をひたすら食べる日常を繰り返していたが、どうもそれでは物足りない。虎屋博士に匹敵するみずみずしく香ばしい唐揚げを食べるか、あるいは虎屋博士を捕食するかしなければ、彼女の食欲は満足しそうになかった。
「カニバリズムはぞっとしませんね……」
来栖研究員はぼそっと呟いた。だが飽くなき食欲は虎屋博士を捉えていた。
「だから言ってるじゃないですか! 財団職員ですって! ええ、レベル3ですよ!? ほら、職員証!」
毎日毎日飽きもせず行列の最前列で食堂のおばちゃんと大立ち回りとは迷惑も甚だしく、全く申し訳ないお話なのであるが、海野一三にとっては食堂利用にかかわる重要な日課だった。職員証を見せるとようやく納得したおばちゃんは、昨日と同じカツカレーをトレイに載せた。
「ああ……」
鼻腔を突くスパイスの香りに先ほどまでささくれ立っていた心が安らいでいく。
ふと周囲を見渡すと、トレイの上に何故か大量の甘味しか載せていない博士、どうしてか本と会話している研究員、何のつもりか唐揚げに向かってぶつぶつ独り言をつぶやいている研究員と、どういうつもりか顔を真っ黒の布で覆ったまま立ち尽くしている事務員がいる。
「一体全体なぜ僕ばかり怪しいやつ扱いなのだろう……」
それから、隣の唐揚げが悲鳴を上げた。
風呂から出たばかりか、イトクリの髪の毛はしめっており、髪は完全におろされ別人のようになっていた。
「よろしい、私が誰であるのかわからなかった…ようございます…」
箸をぱたりと置いて、髪の毛を耳にかけ、彼は言った。
「しかし!私は許せません!社員証!みせた!私は見せた!そしていった!何度も言った!私がイトクリだと何度もいった!そこで承知したはずだ!だのに、出てくる食べ物に、これみろよ!マヨネーズ、ああくっそ!なぜかけるのだ!なぜだ!ど忘れですむ問題ではない!私はこの食べ物を廃棄するか、人にやらなくてはいけなくなった!もういい、今晩は何もいりません!」
イトクリはそう言って食堂から出て行った。
数分後の食堂にて、風呂から出たばかりか、オダマキの髪の毛はしめっており、髪は完全におろされ別人のようになっていた。
「よろしい、私が誰であるのかわからなかった…ようございます…」
喧騒を遠巻きに眺めながら、宇喜田は食堂のおばちゃんにニコニコと触手を振った。
「どうも、いつものでお願いします」
「はあい、宇喜田博士チリソース煮!おかゆ付きでーす」
「ありがとう」
ここまで言ったところで、向こうでわっと歓声が起こった。見れば前原博士がフォークに刺さった唐揚げを空中でぐりぐりと動かしている。
ああなるほどと宇喜田は納得し、カウンターに軽く寄りかかった。手に持った盆の上でカラカラと箸が鳴る。いつもの食堂、いつもの同僚だ。
しばらくして、隣に並んだ女性が手元のカレーと近くの空席を交互に見ているのに気がつく。と言っても身振りだけであったから確信がなかったが、
妙な覆面を着けた彼女の気持ちは宇喜田にはなんとなくわかった。
「失礼」
「……うえっ!?私ですか?」
「ええ、もし席をお探しなら麺コーナーの券売機のちょっと先に穴場がありますよ」
「あ、穴場というと?」
「あの、ちょっと陰になっている所に静かな席があるんですよ。今の時間ならほとんど座る人もおられないでしょう」
そこまで宇喜田が教えてやると、女性はペコペコと頭を下げながらありがとうとか、すみませんとかと何度か繰り返してそちらへ向かった。
小走りに歩いていく彼女のの手の上でスプーンと皿がカチャカチャとリズムよく鳴るのを聞いて、宇喜田は覆面の下で微笑んだ。……それと同時に少し顔をしかめそうになった。
この前、たわむれにマスクを脱いで鏡の前で笑顔を浮かべてみた時、散らばったかつての「顔」の筋肉が体の表面に気味の悪い文様を浮かび上がらせたのを思い出したのだ。
あるいは、彼女もそうした思いをしたことがあるのだろうか?
(……また話してみたいな)
宇喜田がぼんやりとそんなことを考えていると、ちょうど奥からチリソース煮が運ばれてくるところだった。
触手を持ち上げて受け取ろうとした瞬間、喧騒の中心から旨そうな肉汁まみれのフォークがすっ飛んできて触手の一本の中程に突き刺さった。
「ぴゃああああああああ!?」
食堂に沸騰したヤカンのような宇喜田の悲鳴が響く。それを見た前原が一瞬「しまった」という顔をしてから、指を指して笑う。どうも引き抜く時に加減を間違えたらしい。
いつもの食堂、いつもの同僚、そしていつもの宇喜田だった。
『ドライブスルーってありますか?』
「ないね」
『宇喜田虎屋中華風からあげセット。ドリンクはカフェラテ砂糖多めで』
「ないってば」