微笑みのサンドバック

様々な山々で全国各地を放浪していたヤマトモが、サイトに戻ってから少しして、自身の携帯に非通知の電話が掛かってきた。彼は首をかしげながらも、何かの急務急用であってはいけないと思い、通話ボタンを押した。

「俺だ。今どこにいる。その場から動くな。少しでも移動してみろ。お前をバラバラにして、ドラゴンボール並みに各地にばらまいてやる」

「イトクリさん……」

ヤマトモは溜息を出したいのを堪えつつも、自身がいる場所……サイト-8181の休憩室にいることを伝えた。居場所を伝えた途端、「すぐにいく」との返答を得、通話を切ったヤマトモは非常に重たく憂鬱な気分でいた。イトクリが何をしに、自分の元へくるのかわからないが、碌でもないことはすぐに想像でき思い当たった。正直、いますぐ逃げ出したい衝動に駆られたが、奴が自分の義肢を外し、サイト内の色々な場所に隠す可能性があるため、グッと我慢する。

……サイト内に隠すならまだ良い方だろうと、独り言を呟いた途端、廊下からツカツカと小気味良い足音が聞こえてきた。見れば、白衣のポケットにまさぐりながら、荷物を手に外科医が近づいて来ている。ヤマトモは気軽できさくに片手を挙げ「やあ」と挨拶をするが、明らかに気付いているにも関わらず、奴は会釈すらしない。ただ歩調がほとんど駆け足といって良いほど早足になり、1mほど接近したかと思うと、ヤマトモの口にいきなり緑色の何かを突っ込んだ。その物体は咽喉の奥に直撃したため、ヤマトモは自然咳き込みながら、その物体を引き抜いた。……財団製栄養バーだった……。

「……おい、人が折角親切心でお腹が空いているだろうと思いあげたモノを吐き出すとは何事だ。お行儀が悪いですね。森でどんぐり食べてろ」

「せめて、包装剥がしてから頂戴ヨ」

ピリリ……と小さく音を立て、ビニール包装を剥がす。中には細長く四角の形状をしたこげ茶色の栄養食があった。ヤマトモはモソモソと食べ始めるが、甘いだけで味気なく、非常に堅くてパサパサとしたその食べ物が余り好きではなかった。しかし、腹が空いていることは確かであったので、空腹という至上のスパイスのお陰で、難なく食することが出来た。

「なんか、モソモソしてて、咽喉が渇く……」

「咽喉が渇いたのかそうか」

イトクリはうんうんと頷いたかと思うと荷物を床において、すぐ近くにあった自販機に向かった。小銭を取り出してミニペットボトルの水を買う。ヤマトモの傍に戻ったイトクリはペットボトルのキャップをクルクルと外して、一気にゴクゴクと飲みだした。小さく咽喉が上下している。水を飲み終えた空の容器をヤマトモに差し出した。

「捨ててくれ」

「…………。まあ、分かっていたよ?」

ヤマトモはグニョンと腕を伸ばして、ゴミ箱にペットボトルを捨てる。ヤマトモの遣る瀬無く無気力な態度で、無礼な態度にでる彼を怒らないのは、いつか仕返し復讐を胸に宿らせ決意しているということもあるが、大半は慣れの所為であった。その慣れは親しいなどの馴れ初めなどではなく、幾度となく意地の悪いことをされたことによる順応の結果である。

……どうもイトクリはヤマトモに対しては態度も言動も、他職員とかなり異なるように思える。唯一同じなのは全く笑わない無表情という点だけであった。

例えば上位職員である前原博士に対しては「食事に行ってまいります。席を外してもよろしいでしょうか」と丁寧に窺い……

例えば少し顔の知れた職員、波戸崎に対しては「ちょっと、食事に行きますね」とやんわり告げ……

例えば少し仲の良い職員、海野に対しては「すみません。遅くなりました。お待たせしました。食事? さっき食べてきました」と、憮然と云い放つのに対し……

ヤマトモが相手なら「何食べているの? ガム? ぺっしなさい。蝉でも食ってろ」と当たり前のように口にするのであった。

以上羅列した一例や様々な理由により、イトクリは決して善良な性格を有しているとは決して云えないし、云ってはいけないが、奴の言い分によるとヤマトモには「とろけるような優しさと、悦に浸るような親切心」を以って接しているのだという。しかしヤマトモはどう考えても、優しさではなくただの意地悪であるし、親切心などではなく悪戯心からくる嫌がらせにしか思えなかった。

ここ最近で強烈に記憶しているのは、煮え滾り沸点を有に超えたおでんを一度の温度の低下も許さず無理矢理食べさせたことである。あぶくが浮かび上がり湯気が立ち上る各種具の入った鍋は、さながら地獄の有様のようにしか思えなかった。ガンダタが蛙のように口をパクパクと開け、無気力に漂っているような浮竹地獄の煮卵を……咎人の全身を突き刺す樹木を切り取った株のような剣樹地獄の大根を……灼土に転がっている岩のような灼熱地獄のこんにゃくが……。食べ物に関して非常に貪欲な態度でいるヤマトモであったが、あの時味が全然分からなかったことは云うまでもない。

咥内の火傷により床を転がっているヤマトモの襟首を掴み、イトクリは無表情のままで「熱湯風呂だ」と云い放った瞬間、戦慄を覚えたのは云うまでもない。奴の目は剣呑に煌いていた。着の身着のまま浴槽の中に突っ込まれたのであるが、水の温度は零度以下の氷塊が浮かぶ冷水の大寒地獄だった。しかも、体感温度を下げるために、ハッカ油が混ぜられている。頭をつかまれ顔を沈められたのであるが、氷が浮かぶ湖や海に溺死するような思いを味わった……。イトクリは最後まで世話を見ることなく「楽しんだから」と無表情のまま云い、足早に去っていったのは幸いだった。

どうしてこの人は自分に辛く当たるのだろう……ヤマトモは溜息を吐きながら、イトクリが床に置いた荷物は何であるのか気になっていたので尋ねた。それは嫌がらせのためにもってきたのだろうと予想できたので、早くそのイベントを解消したかった。

「あぁ、これ……あげます。結構……かなり、重たい」

「うん……ありがとう」

碌でもない物が入っているのだろうと判断をつけしゃがみこみ、ヤマトモはその荷物を持ち上げた。それは子供が入れる程度の大きさのダンボールであるが、底に指をいれるようにし肩に力を入れ持ち上げた瞬間、ヤマトモは思わず転びそうになった。たたらを踏みつつ姿勢を正してから数秒、「嘘つき」と叫びたい衝動にかられた。

ダンボールは軽かった。中に何も入っていないかの如く軽かった。蓋が半開きになっていたので開封すると、底には飴玉がぽつんとあった。ヤマトモはポケットの中にアメを入れつつ、きちんと(云う必要は絶対にないが)礼を述べる。

「うん、まあ……ありがとう。軽かったけどね。ダンボール返すよ」

「それも差し上げます。あなたの家に丁度良いでしょう」

「確かに寒さは凌げるけど……貰っておくよ」

「犬小屋以下だな」

イトクリは笑った。それは鼻で笑ったのではなく……無意識下なのだろう……口角を若干上げて、笑ったのである。一見嘲笑のように見える笑い方であるが、オダマキと全く同じ顔をしていたこともあり、微笑んだように感じる。イトクリの笑みは1秒も持たず消えたのだが、その間オダマキがそこに立っているかのような錯覚を与えた。

妙な既視感を覚えたヤマトモがぼうっとしている間にイトクリはさっと白衣を翻し、目の前から去ってしまった。ヤマトモは休憩室に設置されているソファに座りながら先ほど彼から貰った飴を口にする。ころころと転がしてから数秒すると尋常じゃなく、形容し難い強烈な味が突き抜けた。瞬間吐き出したい衝動が襲い、ヤマトモは素直に物体を吐き出す。黒色の飴玉を見ている内に、世界一まずいあの飴であることに気がついた。

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