愛煙家達の平和
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冷えた11月。サイト-8181の喫煙所。
今日は強めの風に、落ち葉が舞っている。隣接した道路を往来するトラックが砂埃を上げている。
サイト-8181の駐車場横、木々の植え込みの更に奥、清掃用具の物置横に置かれたボロボロの机に赤い一斗缶が置かれていた。一斗缶には雑な「灰皿」の白い文字。
嫌煙の流れは財団も例外ではなく、数年前までは数カ所あった喫煙所も今ではこの安っぽい"灰皿"だけになっていた。
そこに男が二人。

「それで、珍しく木村がフライパン焦げ付かせて大変だったんだよ」
「へぇ、ラグビーで鍛えた腕力があるからって焦げ取りやらされるとか」
「だいたいラグビーは腕より足腰だって言ってんのにな、聞かねえのアイツ等」
喫煙所で良く顔を合わせていた育良と鈴木は、初めこそ会っても会釈する程度だったが、気が付けばタメ口でダラダラと世間話をする程度の仲になっていた。
田中鈴木の短くなったゴールデンバットから灰が落ちる。
「まあ俺達兄弟で一番力あるの俺だし、別にいいんだけどよ」
「身長もばかでかいしな」
「関係ねえだろそれ……つぅか寒ぃよ、そろそろ戻る」
「あいよ、いとーちゃんによろしく言っといて」
「あー、この前の報告書伊藤に丸投げしたやつか」
「それ」
言葉を聞きながら鈴木は、指で抓んだゴールデンバットを少し離れたところから灰皿に投げ込む。上手い事入った灰皿から少しだけ舞った灰が、育良のPコートに掛かる。二人ともそんな事を気にする程ファッションに気を使う様な性格では無く、お互い特に何も気にしなかった。灰はそのまま風に流れる。
育良は寒そうに肩をすくめ、コートのポケットに左手を突っ込んだ。そして物置の横を背を丸めて去って行く鈴木を見ながら、寒さにフィルターを噛んだ。乾いた唇が切れそうなのを、煙草を持った親指で触る。

アメリカンスピリットはまだ1/3も燃えていない。

去り際、鈴木は物置の向こうの誰かに会釈をして、物置角へ消える。物置の向こうから入れ替わりで入ってきたのは差前だった。
「おう、育良じゃん」
「あれ、お疲れ様です」
差前の鼻から下を、茜色のマフラーがマスクの様に覆っていた。トレンチコートが風になびく。
ポケットに片手を入れたまま差前は、着込んだジャケットの内ポケットからヴィンテージのシガーケースを取り出す。ケースを振り一本だけ端を出させると、マフラーを器用に薬指で押し下げ、アメリカンスピリットを咥える。
ケースをジャケットにしまって今度はオイルライターを取り出し、パチン、と蓋を開けると火が着いた。ライターに顔を近づけ、煙草に着火しようとする。
「差前さん」
育良がターボライターで火を差し出した。差前の煙草を近づけたライターの火は、風で消えていた。
「うお、サンクス」
その場から首だけ伸ばして煙草に火を付けると、差前は背を反らして伸びをした。そのまま上を向いてふぅ、と吐きだした煙は風に流れていった。
「差前さん今日は非番じゃなかったでしたっけ?」
「エージェントに休みなんてねえ!そう、我々は愛の使者なのだよ育良君」
「あー、前原博士呼び出しですか、お気の毒様です」
「そ、あの森の賢者め、愛の欠片もねえ」
そう言いながら、差前は心底憂鬱そうな顔をして煙草を咥え直す。
最近急に冷え込んだせいか、体調を崩し欠勤する職員が多く前原博士に回ってくる仕事量が増えていた。すれ違った前原の目がいつにも増して怒気を帯びていたのを育良は思い出し、胃の辺りがギュウと縮こまるような感覚を覚えて思わずまたフィルターを噛んだ。そして煙草を持ち直し、吸った。
「おやおや、今日は賑わっているようで。愛煙家としては嬉しいねぇ」
突然声を掛けられて育良は驚いて咽込んだ。差前が声の方向に顔だけ向かせる。
大和が物置の裏手から、セブンスターを取り出しつつ二人に声を掛けてきていた。
「私もお邪魔するよ、エージェント」
「うっわー、今火着けたばっかだから逃げらんないじゃん、エージェント差前大ピンチだわ」
「ゆっくり喫むがいいよ、アメリカンスピリットは少々贅沢品だ、勿体無いだろう」
「ガバメント持ってきましょうか差前さん」
「いいや、フォーティファイブは勿体無い、根性焼きしてやろうぜ」
「つれないねぇ」
眉をひそめた大和は、セブンスターを咥えたまま黒の白衣の胸ポケットから古いフリントライターを取り出す。大きな掌で覆いを作り、慣れた手つきで煙草に火を灯した。
そして深く煙を吸って、顔を上げ、満足そうに煙を吐き出す。
「ターボライターなんて邪道だね、慣れだよ慣れ」
「そのドヤ顔と余計な台詞さえ無ければ、確かにカッコいいんですけどねぇ」
「そう言ってくれると嬉しいよ」
「うーん絶妙なウザさ!流石はドイツ製だわーソンケーしちゃうなー」
「はは、差前君も負けず劣らず」
「ウゼえ」
差前が顔をしかめて煙を吐いた。
木枯らしがふき、舞う落ち葉と一緒に喫煙者達の他愛も無い雑談が、11月の寒空へ流れていく。
「おい育良、お前の灰落ちるぞ」
「あ、おっと」
ぼんやりと木枯らしの吹く様を眺めていた育良は、伸びた灰を崩さない様にそっと灰皿の上まで持っていく。そしてトン、と落とした。
大和はゆったりと旨そうに煙を吐き、差前はライターを弄っていた。

良くある喫煙所の風景。
そこだけを切り取れば、何の変哲もない穏やかな秋の日そのものだった。
足元の地下施設にいろいろが待っている事は、ここだけなら忘れて居られる。
だから育良はこの安っぽい喫煙所が好きだった。

咥え直したアメリカンスピリットはもうそろそろ半分になるところだ。

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