吠えるカナリア/プロローグ
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「こちらカナリア、ミッション開始します」
『こちらフォックス、ミッション開始了解。……ま、いつも通りに』
「はい、いつも通り慎重にいきますね」

 カビ臭い暗闇を、丸い光が切り取る。
 浮かび上がるのは、湿ったコンクリートの壁だ。
「ポイントB6に到着。安全確保します」
 暗闇の中でパキリと音がして、数秒後に辺りはぼんやりとした蒼い光に包まれる。
 淡い光に包まれて立っているのは、10代後半の女性。髪を無造作に束ね、ジャージ姿にリュックを背負っている。
 彼女は手にした蒼いケミカルライトを、無造作に床に転がす。
 それから周囲を見回しながら、インカムに囁いた。
「B6の安全を確保。ターゲットは確認できません」
 応答は少し遅れて、のんびりとした男性の声で返ってきた。
『了解。ああ、ところで加奈君』
 その瞬間、加奈の眉がぴくりと動く。
「私はカナリアですが」
『ああ、そうだった。カナリア、そのへんにヘルメットの類は落ちてないかな?』
「ヘルメット、ですか?」
 ケミカルライトの光だけでは、広い部屋の隅々までは見通せない。加奈は懐中電灯で周囲を照らし、注意深く観察する。
 だが廃工場の地下施設には、コンクリートの壁と床が広がっているだけだ。
「ヘルメットや、それに類するものは何もなさそうです」
『わかった。次の区画に進んでくれ』
「了解しました。B5に進入します」
 加奈は奥のドアにゆっくり近づくと、ドア越しに聞き耳を立てる。
 何も聞こえてこないことを確認してから、加奈は錆びついたドアをそっと開けた。

 次の室内もやはり薄暗く、カビ臭い。おまけに寒くて、居住性はあまり良くない。
 加奈は思わず呟く。
「所長、本当にこんなところに、遭難者がいるんですか?」
『フォックスと呼びたまえ。僕の情報が間違っていたことがあるかね』
 返ってきた声に、加奈は冷たく言い返す。
「しょっちゅう間違ってるじゃないですか」
『うん、そうだね……』
 所長の溜息に加奈も溜息をついて、新しい部屋の捜索を開始した。
 機械部品工場だった廃墟は、今はもうすっかりがらんとしている。
 ところどころに錆びついた部品が転がっていたりもするが、工作機械やコンテナの類は皆無だ。
 物陰がないので、この部屋の探索もすぐに終わった。
 加奈は緑のケミカルライトを取り出し、パキリと折る。発光してきたそれを、床に転がした。
「B5の安全を確保。B4に進入します」

 そのとき加奈の聴覚が、不審な声を聞きつけた。
「何か聞こえます」
『了解』
 お互い手短に意志疎通を済ませると、加奈は足音を立てないように部屋を横断する。声が聞こえてくるのは、扉の奥だ。
 ドアに耳を近づけると、よりはっきりと声が聞こえてきた。
「嫌だよぅ……なんでこんな……ああ、もう嫌だ……」
 加奈は腰のホルスターからミリタリーシャベルを取り出し、畳まれていたそれを展開する。
 それから小さな声で、インカムに囁きかけた。
「B4から男性の声。突入します」
『突入了解』
 加奈は静かにドアを開けた。

 部屋はがらんとしていて、とても広い。廃棄されたコンテナが置かれており、声はその奥、コンテナの陰から聞こえていた。
「もうダメなのか……くそっ……ああ……」
 中年男性の声だ。加奈はインカムで可能な限り音を拾い、次の指示を待つ。
 キーボードを叩く音が聞こえてきて、所長が告げる。
『声紋照合、ターゲットだ。確保してくれ』
「私で大丈夫でしょうか」
『たぶんね。若干混乱しているだろうから、適当に話を合わせて』
「適当にって……」
 加奈は困惑したが、無茶振りはいつものことだ。言われた通りに行動を開始する。
 コンテナに張り付くと、手鏡で角から様子をうかがう。薄暗くてほとんど見えないが、誰かうずくまっているようだ。

 加奈は赤色のケミカルライトを折ると、発光してきたそれを床に転がした。
 そしてなるべく穏やかな口調で告げる。
「タドコロさん、ですよね? 職場の方に頼まれて、迎えにきました」
「嘘だ!」
 会話は唐突な否定から始まった。
 加奈はなだめるような口調で、慎重に会話を進める。
「嘘じゃないですよ。私は依頼を受けた調査事務所『セグメント・カバー・パトロール』の者です。もう大丈夫ですよ」
「嘘だ!」
 またしても否定。それもかなり強い口調だった。
(頑固な人だなあ……)
 そっと覗くと、男はうずくまったままうなだれている。黄色い作業用ヘルメットを目深にかぶった、作業服の男だ。
 彼は安全靴を履いた脚を投げ出したまま、力なく呟く。
「もう世界はおしまいだ……職場のみんなも、誰も助からなかった……いいヤツらだったのに……」
 加奈は頭を引っ込めて、インカムに囁きかける。
「事実関係の確認をお願いします」
『彼の同僚なら、みんな元気に同じ現場で働いているよ。早く連れて帰ってやってくれ』
「はあ……わかりました」

 加奈は通信を打ち切って、ひょこりと頭を出す。
「職場のみなさん、お元気ですよ?」
「嘘だ!」
 またしても断固として否定された。
 男は呟く。
「俺は見たんだ……でっかいウニみたいな連中が、空から幾つも幾つも降ってくるのを……みんな串刺しだった」
「そ、そうですか」
 逆らわない方がよさそうなので、加奈は真面目な顔をしてうなずく。
 ぼんやりとした赤い光の中で、男は絶望の溜息をもらした。
「あんたも見ただろ? ウニが人間を襲うところ」
「えーと、はい」
「あいつら人間に卵を産みつけるんだ。そしたら中からカニが出てくる」
「ウニが……カニ、ですか」
 話を合わせるのが難しそうだったが、加奈は適当に相づちを打った。
「私も見ました。私の上司も、お腹の中からカニがいっぱい湧いてきて、貪り食われてましたから」
 すると男は力強くうなずいた。
「そうだろう。もう俺たち人類はおしまいなんだ。俺は真っ先に逃げたから、まだここで生きている。でももう長い間、ここで飲まず食わずなんだ。眠れないし、もう疲れた……」
 加奈はここぞとばかりに男を説得する。
「タドコロさん、それなら一度外に出ませんか? 私が案内します」
 だが男は首を横に振った。
「危険すぎるよ。ここから動かない方がいい。もしかしたら、そのうちあいつらも引き揚げるかもしれないんだ」
「引き揚げなかったら?」
「ここで死ぬんだろうな、俺たちは」
「もしかして私もカウントされてるんですか、それ」
 すると男は傍らに積み上げられた作業用ヘルメットをひとつ取り、加奈に差し出した。
「他には何にもないけど、ヘルメットだけはある。これあげるよ。何もないよりはマシだろ?」
「は、はあ……ありがとうございます」

 そのとき、ヘッドホンから警告が発せられる。
『被るな!』
「えっ!? ひゃい!」
 びくっとした加奈は、慌ててヘルメットを突き返した。
「や、やっぱりいいです。か、髪型乱れちゃうんで」
 だが男は納得していない様子で、執拗にヘルメットを勧めてくる。
「そんなこと言ってないで、ちゃんと被るんだ。頭を守らないと死んでしまうぞ」
「え、いや、大丈夫! 大丈夫ですから!」
 及び腰になった加奈に、男は立ち上がる。ヘルメットを持ったまま、男がにじり寄ってきた。
「ほら、ヘルメット被りなさい。これを被っていれば大丈夫。もう何も怖いことなんてないんだから」
「いや、それおかしくないですか!?」
「いいから被……」
 ぐいぐいとヘルメットを押したり引いたりしている最中に、男がふと黙り込む。
 どうしたのかと思って覗き込むと、ヘルメットの男は落ち着いた口調で呟いた。
「そうだな、今はそんな場合じゃなかった」
「あ、わかってくれたんですか。それなら今すぐここを」
 しかし加奈の言葉を遮って、男は彼女の肩をつかんだ。
「俺の子供を産んでくれ!」
「なっ!?」
「もう地球には、俺と君しか生き残っていない! 他に方法はないんだ!」
「いや、ちょっ……待って……」
「君と俺は、新世界のアダムとイヴになるんだ!」
 そのまま押し倒されそうになった加奈は、即座にミリタリーシャベルを抜いた。
 そして躊躇なく振り下ろす。
「無力化しろ!」
 ヘルメットを狙って、加奈は力いっぱいシャベルを叩きつけた。スナップを利かせた打突は正確にヘルメットの頂点を捉え、最大速度で直撃する。
「おごわっ!」
 ミリタリーシャベルで殴られた男は、妙な悲鳴をあげて硬直した。
(あれ?)
 違和感を覚えた加奈だが、その手は続けざまに二の太刀を放つ。
 ミリタリーシャベルのエッジは、下手な刃物より切断力がある。ヘルメット以外の部分に打ち込むと危険なので、加奈はヘルメットをもう一発ぶっ叩いた。
「くらえ!」
「おぼあ……」
 鋭い二連撃を受けた男は、虚ろな眼差しのまま棒立ちになる。
 だが加奈はミリタリーシャベルを構え、一足一刀の間合いまで後退しながら様子をうかがっていた。
「あの……きいてます?」
 加奈は「聞く」と「効く」の両方の意味で問いかけたのだが、どちらにも返答はなかった。
 男は虚ろな視線をさまよわせ、そして言った。
「光だ……」
「光?」
 彼の頭からヘルメットが滑り落ちた。真ん中から割れている。
 そして男はそのまま、前のめりに倒れた。

『カナリア、何が起きた?』
 ヘッドホンからの声に、加奈は応答する。
「急に襲われたので、実力行使しました。対象は現在、無力化されているようです」
 一瞬の沈黙。
『……具体的に、何をしたのかな?』
「ミリタリーシャベルで頭をどつきました」
 また沈黙の後、虎屋所長は呟く。
『頭、どついちゃったのかね』
「どついちゃいました」
『対象のバイタルサインを確認してくれ。確認したら、対象を確保してすぐに撤収だ』
「了解」
 倒れたままピクリとも動かない男の首筋に、そっと指を添える。規則正しい脈動が感じられた。
 ほっとした加奈は、インカムに告げる。
「脈拍確認しました。引きずって連れていきます」
 ミリタリーシャベルをしまうと、加奈はよっこらしょと男の両足をつかむ。

 そのとき加奈は、ふと気づいた。
 部屋中の床のあちこちに、ヘルメットが転がっている。
 さっきまで、どこにも見あたらなかったはずだが、暗くて見えていなかったのかもしれない。
 ただ、その全てが伏せられた形になっているのが、加奈には酷く不自然さを感じさせた。
 例外は今、加奈が叩き割ったヘルメットだけだ。
 そのヘルメットを見ると、緩衝材の部分からデロリとした塊が溢れていた。何かの内臓のようだ。
(このヘルメット、生きてる!?)
 内臓っぽい塊の先には、有機的な白い針のようなものが見える。先端は血に染まってピンク色になっていて、まだ濡れていた。
(ヘルメットに針がついてて……濡れてて……血……)
 そこまで考えた加奈は、動かなくなった男を見下ろす。あの針が刺さっていたとすれば、この男の頭だ。
「もしかして……」
 呟きかけた加奈はふと、上を見上げた。
 そして戦慄する。
「ひっ!?」
 天井一面に、無数のヘルメットが貼り付いていた。前衛芸術のオブジェか、そうでなければ昆虫のコロニーのようだ。
「しょ、所長……まさかこれ全部……?」
『撤収だ、カナリア』
 所長は冷静にそう告げた。

 廃工場前に救急車とトラックが停まり、中から防護服の集団がぞろぞろ出てくる。
「消却剤の散布を開始。アルファ、ベータの各員は突入準備」
「こちらガンマ4、周辺の封鎖を完了」
「対象を救助。搬送します」
 作業服の男は担架に乗せられ、屈強な救急隊員に運ばれていく。救急隊員とは思えない屈強さだ。それに拳銃で武装していた。
 加奈は私物のリュックを背負ったまま、その光景をぼんやりと眺めている。
(なにこれ)
 よくわからないが、防護服の集団は手際よくキビキビと動いていて、明らかにプロの動きだ。
 しかし「こういうこと」をするプロというのが何なのか、加奈にはよくわからなかった。
 だから邪魔にならないよう、おとなしく座って見ていることにする。
 そこに白衣の男が近寄ってきた。
「やあ、お疲れさま」
 缶ジュースを差し出してきた男は、狐面を被っていた。表情は読めないが、何となく笑っている気がする。
 加奈は立ち上がってジュースを受け取ると、ぺこりと頭を下げた。
「所長、すみませんでした」
「そんなに心配しなくていいよ。あの状況なら、どのみちクライアントに報告しないといけなかったからね」
 加奈は防護服の集団をちらりと見る。
「クライアントですか、これ」
「ああ、君と僕のクライアントだ」
 セグメント・カバー・パトロール事務所の虎屋所長は、そう言って防護服の一団を眺めた。
「本当は君には、この光景を見せたくはなかったんだけどね」
「私は見たことは誰にも言いませんし、これぐらいでいちいち驚いたりはしませんよ?」
「バイトの子に、あまり深入りさせたくはないからなあ……」
「うちの事務所、所長以外は私しかいないじゃないですか」
「うん、まあそうなんだけどね」
 二人は黙って、防護服の集団が廃工場に突入していくのを見守る。

 加奈は所長の横顔をちらりと見て、狐面に問いかけた。
「所長、最初からあのヘルメットのこと知ってましたよね? 発見する前から、ヘルメットのこと聞いてましたし」
「うん、知ってたよ」
 素直に所長がうなずいたので、加奈は続けて尋ねる。
「あのヘルメット、生きてましたよね? 針みたいなのが生えてて……」
「さあ、どうかな」
 虎屋ははぐらかすと、狐面の奥から冷静な視線を投げかける。
「君は優秀なバイトだ。どんな仕事でも100%やり遂げてくれる。だが200%や300%やり遂げてしまうと、ちょっと困るんだ」
 加奈はじっとうつむき、所長の言葉の意味を考える。
「つまり、これ以上詮索するなと?」
「バイトの子に、あまり深入りさせたくないからね」
 所長はさっきと同じ言葉を繰り返した。それ以上は何も言えない、という雰囲気だった。
 廃工場の奥から、時折何かの作業音が聞こえてくる。大型のモーター音や、コンクリートを破砕する音だ。
 それに耳を澄ませた後、加奈は質問を打ち切ることにした。
 そして所長に向かって、丁寧に頭を下げる。
「すみません、以後気をつけます」
「ありがとう」
 虎屋の声は優しかった。
 彼は大きく伸びをすると、のんびりした口調で言う。
「じゃあ帰ろうか。車を用意したよ」
 白衣の男が歩き出したので、加奈もそれに続いた。
 去り際にちらりと背後を振り返ると、防護服の何人かがこちらを向いていて、じっと見つめている様子だ。
(詮索するなって言われても、やっぱり気になるよね……)
 そんな思いを胸に秘め、加奈は所長の車に乗り込んだ。

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