たのしいざいだん小話2 ~ n百回目のすれちがい
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空白
空白
空白
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 「……」

 朝の冷たい空気がサイト内を満たしている。夜を引きずった照明が点々と、まだ影の落ちる通路を照らす中、猫宮は――幸子は、小走りにサイト内を彷徨いていた。

 「ううー……寒い……研究室にも居ないし……部屋にも居ないし……兄貴はどこで何やってんのよ……」

 零れる愚痴に合わせるように歩調も強まる。今日は全体合同訓練がある。それ用に、普段着ている丈長のジャージではなく、指定された訓練着を着用しなければならない。しかし、それは丁度兄である寓司に預けてクリーニング中。今朝までには届けてくれると言っていたのに、その本人がどういう訳か私室にも研究室にも居ないのであった。

 「あれ、幸子? 珍しく早いね。おはよ」

 ばったり。幸子が角を曲がったところで、視界の限りなく低い位置に餅月の頭部が飛び込んでくる。

 「わぁ、餅月さん。おはようございます。あの、兄を見かけませんでしたか?」
 「兄? あー、あのなんかたまーにこの辺歩いてる、暗い人?」
 「そうそう。その暗いのです。もー、訓練用の服の洗濯頼んどいたんですけど、あのバカ兄貴、どこにも居なくて……」
 「へぇ。てか、自分で洗濯しとけよ……さっきあっちで見たよ。何だか大荷物持って、忙しそうに歩いてたけど」

 指差されたのは、餅月が歩いてきた方向であり、職員が住む寮の方向。

 「ホントですか! んー、すれ違ったのかな。ありがとうございます!」
 「あーい。遅刻しないよーにねー」

 ぱたぱたと手を振る餅月に見送られ、なお幸子の足は加速する。月初の合同訓練ゆえ、開始は早い。残りあと30分。着替えも含めると、最低でも10分は欲しい。遅刻したら皆にからかわれるだろうし、何より教官に殺される。これは比喩でもなんでもなく事実だ。物凄く怒られ、物凄くしごかれる。幸子とて、遅刻如きで死にたくはない。

 「ぐうぅ、何でこーゆー時に限ってこーゆーことになるんだ私は……」

 運動会の日、文化祭の日、合唱コンクールの日。列挙されるかつての思い出の数々。その全てに、確か、ほとんど確実に、兄が関わっている。どういう関わり方かと言えば、こんな風に毎度衣装である場合が大抵。兄に洗濯を頼んだり繕いを頼んだりほつれを直してもらったり、そのどれもが大したことではないはずなのに、毎度慌てて兄を探し出す羽目になるのだ。
 携帯を見、5分が過ぎたことに動揺する。マズイ。本格的にヤバイ。慌てて駆け出すと、更に曲がった角で再び誰かに追突しそうになった。

 「っ、わぁ、っとと。育良さん」
 「うひゃぃやああぁぁ?! ……って、何だユキか。危ないから廊下では走らないでくれよ」
 「ごっ、ごめんなさい。急いでて……」
 「急いで、って。そろそろ合同訓練の時間だよ。こっちは寮だけど」
 「あー、あのですね。兄貴を探してまして……訓練用の服の洗濯頼んどいたんですけど、見つかんなくて」
 「え? 寓司さん? さっき会ったけど、ユキを探してたみたいだったよ。服を渡したいって、やけに大荷物だったけど」
 「は、はぁ。大荷物……ヤな予感」 
 「まあ、探してるなら急いだ方がいいかもね。あと20分しかないし」
 「げえっ、やばい。ありがとうございます、探してみます!」
 「おー。遅刻すんなよー」

 育良に手を振るのもそこそこに、幸子は駆け出した。流石にそろそろ見つけられないとマズイ。つーか、アイツに捕まったらまた長話に巻き込まれそうだし。
 そうして自室に飛び込みかけた瞬間、すぐ近くの西塔の部屋の扉が開き思わず追突しかけた。

 「ぎゃにゃっ?!」
 「わ……何してんの、ユキ」
 「ぁ……あは、へへへ」

 すっ転びかけてバランスを崩していたところを、西塔が怪訝そうな目で見つめている。幸子は体勢を立て直すと、西塔に向き直った。

 「ごめんなさい、慌ててて。あの、起きがけでアレなんですけど私の兄貴見ませんでした?」
 「寓司さん? 今出ようとしたばっかりだし、見てないよ」
 「ですよね……あー、もー、どこ行ったんだアイツはー!」
 「何かあったの?」
 「や、それが実は訓練で使う服の洗濯を頼んでて……」

 がちゃり。隣の部屋が開き、三人分の視線が交錯する。部屋から出てきた人物以外の視線が集まった先には――抱えられた衣類の山。

 「――っでえぇぇぇえぇぇぇぇ!!」
 「やっと見つへげぶっ」
 「ワォ」
 
 幸子の膝は、幸子の本体と共に美しい軌道を描いて、幸子の脱ぎ散らかした衣類を大量に抱えた寓司の顔面にクリティカルヒットした。西塔の感嘆する声、割れる眼鏡。鼻から吹き出し舞う血飛沫。寓司が地面に叩き付けられる頃には、西塔は思わず拍手していた。

 「……綺麗なフォームだった。10点」
 「何が! 10点! ですか! 兄さんも何やってんのよ!? えぇ?!」
 「……洗ってない服が沢山あったから」
 「あったからじゃない! 勝手に持ってくなあ!!」
 「あんたら仲良いな」
 「どこが!?」

 黙って起き上がり、ひしゃげた眼鏡を直す寓司。猫のように全身の毛を逆立てながら、幸子は今にも爆発寸前だ。

 「安くないんだぞ眼鏡も」
 「どーせあたしより高給取りでしょバカ兄っ! それより兄さん、服は!?」
 「ああ、あるぞ」
 「だーっ! 勝手に部屋に戻んな!! 入んな!! つーか鍵掛けてたはずなんですけど!?」
 「合鍵がある」
 「死ね!!」

 ドアの開閉音とは思えないほどの轟音を立てながら幸子は部屋に入って行く。

 「お兄さんも大変ですね」
 「慣れてるので。しかし、幸子はあっちに行ったりこっちに行ったり、忙しいな。お陰で無駄に歩かされた。30分は探したぞ」
 「兄さんのせいだよ!! こっちだってあっち行ったりこっち行ったりして一時間近く歩いたんだから!」
 「部屋で待っていれば良かったんだ」
 「うるさいっ! このばか!」

 服を引っ掴んで戻ってきた幸子は、戻るなり床に散乱した洗濯物の山を兄に投げつける。乱雑に飛ばされたそれらを寓司は見事に空中で受け止め、先程とほぼ変わらない小山が形成される。西塔は再び「オゥ……」と驚嘆の声を漏らした。

 「洗っとけ!」
 「はいはい」
 「あと勝手に入るな!」
 「善処する」
 「入るな! つーかあの服の山何よ!?」
 「新しいコーディネイト用の色々。今日は帰り早いんだろう。戻ったら、」
 「だあぁぁああぁそういうこと人前で言うなああぁぁあぁぁぁぁ!!」
 「……」

 黙ってやり取りを眺めていた西塔が、一言。

 「……なんて言うか似てるよね、二人とも」
 『――「どこが?」!?』

 硬直。同時の叫び。沈黙。

 「……やっぱり似てるよ、うん。はは」

 堪え切れないように笑い出した西塔に、猫宮兄妹は向き合って目を瞬くばかりだった。

 「似てないよな」
 「……似てないと思う」

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