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二六〇〇餘年ノ皇統ノモト、繁榮ヲ極メタ皇國ガ、今日、正ニ亡バントシテヰル。我等、死セル時ハ護國ノ鬼トナルコトヲ誓ツタ身ナリ。海深ク、鋼ノ棺ノ中ニ於ヰテ、身ヲ枯死サセルコトヲ良シトセズ。必ズヤ陸ノ敵ヲ排撃セン。必ズヤ皇國ヲ再興セン。皇軍ハ亡ビズ、海底ヨリ、其ノ健在ヲ宣言スルノデアル。


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聖者。われらが祖。預言者。

以下の文書は、1926年████████号O5司令部命令によって記録抹殺処分対象となっています。秘密保持区分: スレート・サンダーに関するクリアランスを保持する人員以外の閲覧は固く禁じられています。

名前: Rotter Fuchs

セキュリティ・クリアランス レベル: 剥奪

職務: 記憶処理医部門上席研究員, 考古学部門上級調査員, 財団科学学士院会員

専門分野: 医学, 超常医学, 神秘学, 考古学

所在: サイト-92[現在は放棄]

人物: 1924年6月以降、Fuchs博士とコンタクトが取れていません。1924年7月1日付で、彼は"トライアド"協力者であると認定され、あらゆる職権が剥奪されました。

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三川十七とその周辺に関する設定および考察

参謀本部第2部第8課第13班(特種物資回収班)――三千機関
三千機関は主にインドシナの占領地域で活動していた特務機関の一つ。岩畔豪雄の直系によって組織された特務機関として、昭和14年の昭和通商社の設立と同時に従来組織を発展改組、結成される。 三川十七は3代目機関長。
規模は最初期には17人、最盛期には300名近い人員を擁していた。その組織目標を対外的には対連合軍諜報網の建設としていたが、実際は異常性物体蒐集こそが本来の目的であり、陸軍の持つ蒐集院とのパイプの一つでもあった。
三千機関の前身組織・S機関は、ポーランド侵攻前より岩畔の指示で欧州にて活動を開始していた。欧州には既に外務省系の特務機関・東機関が存在していたが、岩畔を嫌う外務省の意向により公式な提携はなかったとされる(実際には実務者レベルでの情報共有などが行われていた)。
日米開戦後は東南アジア・インドにて活動を開始。後に光機関・南機関とも連携を持った。この期間に収集された異常性物体は実に121個に上るとされているが、その中で蒐集院に引き渡されたものはごく一部に過ぎない。物品の大半は第9陸軍技術研究所に引き渡され、その詳細な資料は現存していない。
同機関の予算規模を知らされるのが軍事課の中でもほんの一部の人間だけ、という徹底した秘密主義によって、しばしば陸軍内部でも気味悪がられていた。

第3次遣日潜水艦作戦に関する委細
ドイツの敗色濃厚となった1945年3月、日本へ向けてキールを出港したUボートは記録上ではU-234のみとなっている。が、実際には別命を帯びたU-███も同時に出撃しており、合計2隻が最後の遣日潜水艦作戦を決行していたのである。
U-███の積荷は三千機関が独政府から委託された重要な物品とされている。途中様々なトラブルに見舞われたが、同行していたU-234の降伏を装った囮工作もあり、無事作戦を成功させた。物品は後に蒐集院へと引き渡されたとされるが、詳細は不明(蒐集院目録に記載されず)。

征号作戦(神武計画)に関する委細
戦争の趨勢の決した昭和20年7月23日、伊号第404号潜水艦は三千機関の蒐集した物品複数を搭載して呉を出航。嵐作戦遂行のために呉を出撃する伊400に合わせたものとされる。本作戦も陸海軍共同作戦とされるが、もともと日米開戦に否定的な岩畔大佐の直系機関であった三千機関は海軍との関係も比較的良好であり、それが本作戦決行につながった。計画は満州への異常性蒐集物の疎開を目的としていたが、後、満州へソ連軍侵攻の兆しありとの報を受けたのち、伊404は針路を転向。光機関が最後に捕捉していたのはマドラス寄港までであった。後、イスラエル諜報特務庁による報告に三川十七と思しき男がODESSAに所属していたことが判明した。

三川十七の来歴
大正7年(西暦1918)█月、東京・小金井にて誕生。
昭和7年(西暦1932)4月、陸軍士官学校予科入学。
昭和9年(西暦1935)3月、陸軍士官学校予科卒業。同4月、第1師団歩兵第1連隊付。同10月、陸軍士官学校本科入学。
昭和11年(西暦1937)8月、陸軍士官学校本科卒業(第47期)。第1師団歩兵第1連隊配属。少尉任官。
昭和13年(西暦1938)7月、防諜研究所(後の中野学校)に1期生として入学。
昭和14年(西暦1939)7月、後方勤務要員養成所(防諜研究所の後身)卒業。同10月、参謀本部附中尉昇任(第2部第8課)。S機関結成。蒐集院外部協力者となる。
昭和15年(西暦1940)1月、ドイツ入国。S機関諜報員として活動開始。
昭和17年(西暦1942)2月、帰国。三千機関結成。同6月、ビルマ入国。活動開始。
昭和20年(西暦1945)3月、三千機関の一部構成員がドイツへ再入国。第3次遣日潜水艦作戦に従事。
同年7月、征号作戦発動。三川らを乗せた伊号第404潜水艦が呉を出航。
同年8月、伊404針路転向。三千機関員約20名を乗せたまま行方不明。匣事件起る。
昭和25年(西暦1950)11月、旧三千機関員が日本へ密入国。財団日本支部理事と接触。
昭和53年(西暦1975)3月、イスラエル諜報特務庁より財団への報告で、三川十七がODESSA及びディー・シュピネに所属していたことが判明。




エージェント・海野の人事ファイル(財団公式)
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