Seafield13の突発的掌編

　
　

こことは若干異なる趣旨で書かれたTaleをサルベージしてきました。
URLの通り気晴らしに書かれたものだったり、SCP-JPに投稿すると微妙な感じになるかも……と思ったものをここに置いております。

　
　

マフィン

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「諸知博士、今回もお願いしますね」
「任せてください、とびきりのを焼きますよ」
　オーブンから七色のマフィンが出てくると、周囲からげんなりした声が飛んでくる。
「失礼しちゃいますね。これでもおいしいんですから、おひとつどうです？」
　焼きたての虹色をトングではさみ、諸知博士が微笑む。
　諸知博士にとって、新入職員がやってくる春と秋の季節は特に書き入れ時となる。五月病や休み明け鬱の相談に乗る一方、種々の仕掛け型オリエンテーションに供される軽食も作らねばならないのだ。
　記憶処理薬や催眠剤を使ったおいしいパンの焼き方について、彼女の右に出る者はない。
　しかし今年は、彼女にとって特別だった。なぜなら、待ちに待った彼女の順番が、ついに回ってきたからだ。記憶処理部門での研修オリエンテーション講師の役を、今年は諸知博士がやることになったのだ。
　長年薬剤とベーキングパウダーの配分で悩んできた彼女にとって、これほどの晴れ舞台はなかった。
　わざわざ人事課に頼んで研修期間の最後の方に記憶処理部門のオリエンテーションを持ってきてもらい、彼女は渾身の一品を提供するべく研鑽に研鑽を重ねている。

　そんなある日、彼女のラボ兼キッチンに来客があった。
「あー諸知くん、いいかね？」
「これは、██博士。どうされたんですか？」
　記憶処理部門主任研究員の目に、諸知博士の極彩色マフィンが飛び込んでくる。
「あー実に言いにくいんだが……今年はその、そういうベーグルやマフィンみたいなものは、避けてほしいんだ」
「えっ……」
　焼きあがったばかりのマフィンを載せたプレートが、大きな音を立てて床を跳ねる。
「昨年の君のベーグルはすごかった。新人職員がみなオリエンテーション中に二時間も寝て、しかもそれをすっかり忘れているなんて」
「それでは、なぜ……」
「やりすぎだ、とお達しがあってね」
　サイト-81██でのオリエンテーションの評判はかなりのものだった。そしてそれに最も貢献していたのが、諸知博士に他ならない。
「悪いが、頼むよ」
「わ、わかりました……」

　当日。
　オリエンテーションを終えた諸知博士のもとに、██博士が怒鳴り込んできた。
「どういうことだね！　新人職員が口々に、君の出したマフィンがおいしいと言っているそうじゃないか！」
「………………」
　返事のない諸知博士の様子に、██博士は異変に気がついた。机の上に突っ伏して、さきほどからなんの反応も示さない。
「ど、どうしたのかね」
「禁じ手を使ってしまったのです……あれにだけは手を出すまいと思っていたのに……」
「今回は、マフィンとかは禁止とあれほど───」
「ええ、出していませんよ」
「では、いったいなにを出したんだ！」
「普通にエアロゾル剤ですよ。『おいしいマフィンを食べた』っていう記憶を埋め込んだんです」
　あっけに取られる上司を前に、記憶処理医はため息をつく。
「おいしさだけは、記憶処理に頼らない気でいたのに……」

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タバコ

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「真面目にこの仕事嫌なんですよね」
　シスター・ルコは仕事の暇にそんなことを言った。タバコの一本に火をつけて、大きく煙を吐き出すまでに3秒とかからない。わたしはその愚痴に曖昧に頷き返して、何も言わないでおく。
「っていうか本当にあるんですね、Dクラスの解雇」
　先程まで神の使徒として死にゆく元GOI構成員に懺悔を促していた身とは思えないほど、彼女はふてぶてしく脚を組んでいる。せめて首のロザリオぐらいは外しておいたほうが良いように思ったが、余計なことを言って彼女の不興を買いたくはない。
「治療が見込めない汚染ですから、しょうがないんですよ」
「そういえばふと気になったんですけど」灰皿に長くなった灰を落として、修道女は私に問うた。「処刑法が投薬と絞首刑で異なるのはなぜなんですか？」
「一般的には地域法に乗っ取るのがルールなんですよ」
　もちろん異論もある規定だが、少なくとも日本で行われる死刑は絞り首と決まっている。
「じゃあ、投薬は？」
「気づきませんでしたか？」
「いや、まあまだ3日目なんで……」
　それもそうか。そもそも、あえてこちらがこの新人職員に説明を避けてきたという節もある。しかし聞かれた以上は答えるのが道理というものだろう。
「投薬による安楽死は大体元職員とかなんです」
「うわーやっぱりあれそういうことなんですか」
　まだ四割ほど残っているタバコをぐしゃり、と灰皿でねじったシスター・ルコは、げんなりした様子でお茶を飲む。口ほどにはショックでもなさそうな様子だが、彼女のモチベーションの低下に一役買ってしまったのは間違いない。
　聖女もかくやという柔和さと敬虔さで、もはや人間の尊厳を失った元職員に最後の別れを告げる役目。あるいは、使い潰されたがかろうじて身体の残ったDクラスに引導を渡す役回り。それらはサイト内の特別管理区域で壁数枚を隔てた場所で行われている。
「こんなことばっかり言ってると給料減らされちゃいそうなんですけどね」と彼女は特に悪びれるでもなく、まだ愚痴を続けるつもりようだ。「はっきり言って神の恩寵を彼らが受けられるなら、殺されたりしないんですよ。建前が大事ってことなんですけどね」
「自分の雇い主に文句を言うんですか」
「なるほど。神がわたしの雇い主」
シスター・ルコはわたしの不用意な発言を面白がったようで、数度そのフレーズを繰り返す。
「まあほら、死後の福利厚生はしっかりしてますよね」
「本当かなあ」
　聖職者にあるまじき発言をしてから、急に別の国の言葉で彼女は聖句を諳んじた。
「……これから死ぬ人を見るのはもう飽きました」最後に個人的な願いを付け加えて、聖職者はわたしを見てにやりと笑う。きっと彼女はいま、こういうキャラクターを演じているのだとわたしは気がついた。「──死体を見るのはもっと嫌です」
「一体どうなってほしいんです？」
「いまはすこしアウトローな気分なので、自然の摂理に反したことが起こればいいななんて思いますね」4本目のタバコに火をつけながら、シスター・ルコは考えている。「例えば、死人が出なくなるとか。葬式もそこそこ辛いんですよね。立ちっぱなしなので」
　自分の負担軽減のために自然法則に対して過大な要求を行った聖職者は、ふと遠い目をして
「……でもわたしも死ねないとなると一生働くのか……」
　とつぶやいた。わたしはおかしくなって吹き出し、するとシスターもそれにつられた。
「わたしの葬式は、ぜひあなたにやってもらいたい」
「どうして？」
「あなたの葬式だったら、もう少し愉快な神様のもとへ行けそうです」
「まあ、わたし一神教ですよ」

　

「──本当に死ぬことはないよなあ」
　特別処分課の事務官は、あっけなく収容違反に巻き込まれて死んだ。その死体だけが彼女の眼下にあり、生前の希望通りルコが葬儀を取り仕切った。
「お疲れ様でした」
　丁重に棺桶の蓋を閉めると、シスターはタバコを取り出す。
　この日ばかりは、彼女はタバコをゆっくりと吸うことにした。

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ドアノブ

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　膝を高く上げ、霧甲水はひとつ息を吐く。螺旋状の軌跡を描く渾身の蹴りが、樹脂製の貧弱なドアへ捻り込まれる。衝撃吸収素材の限界を悠々と超える衝撃は、回転を加えられたことによってより素材の構造を揺さぶり、蝶番を吹き飛ばしノブを脱落させ──ドアそのものが跳躍する。
　そのはずだった。灰色の古びたドアは金属製のパーツをほぼ破砕されながらも、その場にとどまっている。侵入を阻まれた無甲水はほんの一瞬、驚愕に言葉を失った。しかし彼の本能は思考よりも早く結論にたどり着き、ドアの向こうに立っているであろう好敵手の人となりを捉えようとしていた。
「──共振突、パンチいや爆風突止めキャンセリングか」
　懐かしい、と理性が考えているその間にも、霧甲水の身体は繰り返し繰り返し繰り返し廻蹴りを繰り出し続けている。上半身と下半身が別の生き物のように捻れ、その回転が脚部に備わった凶悪な鎚を振り回す原動力となる。灰色のドアは空間上に固定された剛体であるかのように、蝶番の支えを失ってなお宙に浮き続けている──いや、地に落ちることを許されずにいる。重力を打ち消し続ける前後からの打撃の断続は、しかしドアを一切傷つけようとはしない。
　霧甲水の肉体が振り絞る破壊的な"剛"と、財団神拳から編み出される科学的な"柔"は奇妙な均衡を見せており、それが文字通りドア一枚を隔てて衝突していた。
「ははは……はははは」
　上気した顔には、幾筋もの黒い血管が隈取のごとくほとばしっている。彼にとって目の前のドアは今や巨大な崖だった。彼はそれを、ただ2本の|のみ(傍点)と鎚でもって切り崩そうとする鉱夫であった。己が全力を注ぎ込む機会に恵まれない向こう見ずな男にとって、千載一遇のチャンスなのだ。断続的な打撃をやめ、もう一度、初撃のように呼吸を整える。大気が一点へ収束し、臍下丹田に力がみなぎる。
　霧甲水は前足底で大地を踏みしめ、後足を立っていられる最低限まで脱力させた。力を入れるのは衝突するその瞬間だけで良い。最高速度の蹴りが直撃するその瞬間にさえ力が入っていれば、もっとも効率的にエネルギーを破壊力へ変換することができる。重心を急速に移動させ──男は、1本の鎚となった。
　刃のようなひらめきが空間を切り裂きつつ、遠心力と筋力と速力で出来た破城鎚、鎌のように鋭利な横薙ぎの質量が、灰色の城壁へ触れる。毛細血管まで黒く浮かび上がった脚刀は、灰色のドアを大きく歪曲させる──と、同時に、霧甲水の表情も歪んでいる。
　いとも容易く弾けたドアは、霧甲水をあざ笑うかのごとく粉々に砕けて散った。まるでそれまで受けていた衝撃がいっぺんに押し寄せたとでもいうように、欠片が床へ散らばる。
「うるさいノックですね、霧甲水博士」
　着ぐるみ──と言われているが真偽のほどは定かでない──の頭が左右に揺れた。
「急になぜ止めた」
　矜持を傷つけられたといわんばかりの非難の視線を、桑名博士は大いに心外であると受け止めた。
「人に会う前の身支度というものがあるでしょう」短い両手で巨大な頭の位置を調整する博士は、はあ、とため息をついた。「あなたの蹴りのおかげで余計に時間もかかりましたし」
「待て、まさか」霧甲水は顎を巨大な掌で覆う。「お前……わたしの"ノック"を片手で受け続けていたのか？」
「ええ。……大変でしたが」
　愕然とした大男は、渡すはずだった書類のほとんどを取り落していた。垂れた頭はしばらく上がってくることがなく、やがて桑名博士が心配しだした矢先、
「ふふ、ふふふ……」
　啜り泣きとも失笑とも取れる小さな声が、大きな体から放たれ始める。
「あの、霧甲水博士」
「──はっはっはっはっ！　こうでなくては！」晴れやかな表情で、霧甲水は巨大な口腔から爆音の笑声を鳴らす。「まだまだ鍛錬が足りないようだ！　ありがとう桑名博士！　それでは！」
「は？　はい」
　戦闘機のエンジン音ともタメを張るであろう笑い声が、徐々に遠ざかっていく。あっけにとられていた桑名博士は、大男が消え、あとに残された残骸と紙束を見てため息をついた。
「ドア破壊の始末書持ってきたついでにドア壊すか、普通……」

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