前半2作は、boatOBさん主催のもと、Twitter上にて不定期に開催されている「#財団版Tale執筆1時間勝負」で執筆したSSです。時間の制約の中で多少荒削りな部分もありますが、仕様ですご容赦ください。
最新作のSSはkidonoiさん製作の診断メーカー『SCP財団職員taleメーカー (http://shindanmaker.com/530933) 』にてお題を作り、一時間で執筆したSSです。いずれの作品にも言えることですが、恐らく人事ファイルを読んでからの方が楽しめると思います。
セクター-8192に行くなら、是非そこの食堂へ足を運んでみろ、と言われた。何でも名物料理人がいるらしく、その界隈――一体それが何処なのかはしらないが――では有名な腕利きらしいのだ。なんでも、セクター-8192に言ったのならまず一番最初に挨拶しておかねばならないらしい。
どうしてなのかは同僚も知らないと言っていた。
「ここかな……?」
私は一抹の期待を持って食堂を訪れた。よく人から、目つきが悪いと言われる両目をぎらつかせて無人の食堂を見回すと、どうやら奥に厨房があるようだった。食券販売機みたいなものは何処にもなく、厨房の脇にある看板には、
『注文はこれに書いて貼っといてください 鬼食』
と書かれていて、メモパッドがぶら下げてある。既に尋常ならざる雰囲気を感じさせる佇まいだが、時間が悪いのか先ほどから人がいない。まあ仕込みとかなにか忙しいのだろう――そう思って厨房に一歩足を踏み入れると、どこかで物音がした。
「……なんだ」
思わず姿勢を低め、警戒態勢をとってしまう。だがここは財団施設だ、まさか怪しい奴がいるとも思えない――そう自分に言い聞かせても、本能が警戒を怠ることを由としなかった。なにか、奥から、途轍もない負のオーラを感じるのだ。
「だ、誰だ! そこにいるのは」
意を決し叫ぶと、負のオーラの根源から、「あん?」という若い――幼い――声が返ってきた。思いの外幼い声音にぎょっとした私は、慎重な足取りで声のした業務用冷蔵庫のあたりに近づいていく。
「だ、誰かいるのか……?」
先ほどよりも語調をゆるめて言うと、思っていたより下方から、「はあ……」というため息が聞こえてきた。
「えっ」
「ここだよ」
冷蔵庫とキッチン台の隙間から、身長140センチ後半ぐらいの女の子がひょこっと出てくる。いかにも板前といった出で立ちで、大きい頭巾を被っているのが妙に似合っていない。
「な、なにをしているんだ君は、こんなところで」
「ちょっと悩んでて」
マイペースな調子で首をぽきぽき鳴らす女の子は、それから大きく伸びをすると、再び狭苦しそうな隙間に戻っていこうとする。
「ああ、悩み――って、ちょ、ちょっと待て」今の返事では、答えているようで微妙に答えになっていない。「君は誰だ」
「誰って……ここの料理長だけど」
相手――推定11歳――は、常識を説いているような口調で非常識なことを言った。
「ははは」そんなまさか。「大人をバカにしちゃいけない」
大方、職員か誰かの子供のいたずらだろうと見当をつけた私は、実は後ろ手の携帯で保安要員を呼ぶ準備をしながら思考を走らせる。初めから強硬に接するとことをしくじる可能性もあるのだ、とりあえず最初は穏便にいこう――と優しく笑い飛ばす。
「あ、何言ってんの青二才が」
向こうはそういう常識に欠けていた。
「君、あまり大人をからかうと――」
「これ!」
思わず携帯を掲げて声を荒げた私に、女の子は小さい紙を突き出した。
「……へ?」
財団の職員証。
本人の顔写真の隣に、でっかく名前が書いてある。
『鬼食 薬子 セクター-8192 料理長 種別:Aクラス職員』
「嘘だろ……?」
「ふふふ」
女の子――鬼食料理長は、得意げに笑った。
「なんだこりゃ……」
セクター管理官へ出向の挨拶を終えると、私はふたたび食堂へ行った。いつの間にか、食堂は人で一杯になっていた。セクター職員の半分近くが集まっているようにすら思える、そんな混み方だ。
「おい、君」後ろから膝カックンを受けて崩れ落ちた私に、鬼食料理長は不敵に笑った。「さっきはどうも」
「ああ、鬼食さん……」
畏怖のこもった私の表情にちょっと顔をしかめた鬼食料理長は、まあ来なさんな、と厨房の方を指した。
「いいんですか、私なんかが入っちゃって」
「さっき勝手に入ってきただろ」
それを言われると返す言葉がない。鬼食料理長は忙しそうな他のシェフたちを後目に、奥まったところにあるドアを開ける。
「まあ座れや」
「は、はあ」
そういって座らせるなり料理長はどこかに行ってしまう。なんだか生活感にあふれる部屋に一人取り残された僕は、所在なさげになってしまう。それから数分したぐらいだろうか、突然またドアが開いて、鬼食料理長が両手に何かを抱えて入ってきた。
「これ、食えや」
盆の上にに載っていたのは、作りたて熱々の定食だった。
「えっ、いいんですかこれ」
「おうとも、新人サービス」
一見すると何の変哲もない定食だが、実はよく見るとその料理一品一品の鮮やかさや艶、そして匂いまでもが違う。一つ、煮付けを口に運ぶと、これまで食べたことないほどの旨味が口腔一杯に広がった。
「おいしいです! これ」
「そうかー」心なしか料理長は満足げだ。「そんなら良かった」
「……ごちそうさまでした」
こんなにうまい食事をしたのは何時振りだろう、そう幸福感に包まれながら箸を置くと、不意に気になった。
「そういえば鬼食さん、何か悩んでるって言ってましたよね」
ああ、と思い出したように鬼食さんは言った。
「それ、美味かったろう?」
「ええ、はい」
鬼食さんはまたあの不敵な表情になって言った。
「――それ、余った[データ削除済]なんだわ」
喉に熱いものが込み上げてくるのを、私は自覚した。
今後、鬼食料理長が新人職員に対しドッキリを仕掛けることはいかなる場合にも禁止されます。 - セクター-8192管理官
「やっぱり似合ってないですよ、それ。妹がこの前――」
猫宮寓司は吾輩の強力な視線を受けて、それ以上の発言を慎んだ。吾輩は首を多少不自然な角度に傾けて、『書類を置いて出て行け』という意思表示をして見せる。肩をすくめて見せた猫宮は持っていた束をどっさりと置くと、足早に執務室から出て行った。
「……はあ」
吾輩――と危うく打鍵しかけて、すぐにバックスペースを押す。
本職、という一人称が吾輩の職務上でのオフィシャルなのである。これは吾輩にとって譲れない習慣であり、種子島家を律する格調高いルールでもあるのだ。書き途中の報告書を映す画面には、うっすらと吾輩自身の顔もオーバーラップしている。鼻の下に広がる豊かな赤毛の波。カイゼル髭と呼ばれるそれは、ドイツ第二帝国はヴィルヘルム二世の治世に大流行した髭の一スタイルで、種子島家の当主は代々この髭を蓄えて自らの威厳を表した。
ゆえに、似合う似合わないの話ではないのだ。
似合わないようならそれは種子島家の長男ではない。それほど吾輩にとっては重要なアイテムなのだ、これは。そういえばあの気に食わない男――大和・フォン・何某――はこの髭のことを心底おかしそうに褒めていた。もちろん礼儀に対してはそれ相応の応対をしなければなるまい。久方ぶりに吾輩の暗器たちは生き血を吸えて、嬉しそうにしていた。
側に置いてあったステッキ――そうそうこれで彼奴の脳天を打ち砕いた――を手に取って席を立つと、長時間座ったままでいた所為か、腰にずきりと電撃が走った。思わず顔をしかめた吾輩は、勤務時間外であることを再度よく確認したうえで、懐よりウヰスキーの瓶を取り出した。琥珀色の液体がゆらゆらと揺れているのを少しばかり呷った吾輩は、気力が体に再充填されたことを知る。またあの面倒な検査員に何か言われるかもしれないが、まあ、今度も見逃してくれるだろう――酒がまわって多少楽観さを取り戻した吾輩は、部屋を出ようと踵を返す。
資料室のドアを開くと、「あっ」とノブに伸ばしていたらしい手を下げた御仁がいた。
「おや、諸知博士」
「あ、やっぱりもう終業時刻ですか」
「いえ、御用でしたら」
そう言ってドアをもう少しだけ広く開けると、済まなそうに諸知博士は首を横に振った。
「いえ、申し訳ないですから」
「とんでもない、ご足労願ったのに」
吾輩が強く勧めたのが効いたのか、諸知博士はじゃあお言葉に甘えて、と手刀を切りながら電灯を消したばかりの暗い部屋に入っていった。
「――それで、探し物とは」電気をつけた吾輩は、諸知博士がすでに姿を消していることに気が付いた。ステッキを構えた瞬間、背後に冷たい感触を感じる。「――む」
「ちょっとでいいので、動かないで下さい」
諸知博士の姿を取った何者かは、吾輩の首筋に何か針のようなものを突き立てる。小さく鋭い痛みに一瞬肩を浮き上がらせた吾輩は、すぐに意識を失った。
「種子島調査員、起きてください」
頭痛が吾輩を覚醒させた。不本意のまどろみから意識を引き揚げると、そこは元の――もとの?――執務室である。
「あれ――エージェント・猫宮」
「どうされたんです? どこか具合でも悪いのですか」
何かがおかしいということは察しがついたが、吾輩にはそれを突き止められるだけの記憶がそろっていなかった。最も、これ自体吾輩の錯覚にすぎないのでは――ということに考えがいたるころには、吾輩は既に起き上がれるほどに回復していた。
「猫宮さん、本職はいつ――ああ、いつ頃から」
「さあ、私が入ってきたときには眠ってましたよ」
「左様ですか」
いつもの癖でカイゼル髭を整えると、不意に、違和感に気が付く。髭に触れた指に、かすかな泥炭の香りがしたのだ。思わず懐中時計を見やると、今は午後の6時。一杯やるには少々早すぎる時刻ではないか。
「うーむ、これは」
「どうされたんです?――あ、またいじってる」猫宮は書類をどさり、と置いた。「やっぱり似合ってないですよ、それ。兄貴がこの前――」
船が航跡を残すように、蝸牛がその光る足跡を残すように、私の通った後には必ず水がこぼれている。最早いちいち拭き取るのも面倒になって、私は出来るだけそのままにするようにしている。不思議とカビは生えてこないもので、サイト-81??の一角に位置する私の部屋は、常に乾燥と無縁な状態にある。
「………………」
天気予報によると、明日も晴れらしい。出かける用事は、また今度に延期すべきかもしれない。癪に障るほどにこやかなアナウンサーの映る画面から目をそむけると、いつの間にか濡れてしまった人事部からの手紙がある。
「………………」
一体いつだったか。あんな失態を演じたのは。
財団職員なりたての頃。私は知り合いと呼べる知り合い亜も持たずに、毎日できるだけ目立たぬように生活していた。しかし、周りにその私の努力がきちんと通じていたかは怪しい。サイトの中に引きこもって生活していても、私の行く先先はことごとく水浸しになって様々な被害を被った。未だに電算室と木場購買長の工房は出入り禁止なのだから、全く酷い話だと思う。
それは最初の冬の出来事だった。
日光の下には基本的に出て行かない――行けない――私にとって、天候の崩れる日というのは数少ないお出かけ日和となる。
その日は寒波の到来とともに外は雪が降っているという情報だった。
夕刻になって、こたつから這いだしてようやく雪風に身を投じる決心を固めた私は、高校生の頃から着続けているダッフルコートを羽織って街へ繰り出した。
「……寒い」
思ったほど重い雪ではなかったこそすれ、その風は細かい氷の針を含んでいるかのようで、ちくちくと露出の少ない肌を刺していく。
暖めようと手で顔を覆って、肺から生暖かい息を吐き出すと、顔の表皮の張り付いていた雪が溶けるような感覚があった。
長い前髪に遮られがちな視界には、通りの中でも一際暗い一角が映っている。職員になって初めて連れて行ってもらったバーなのだ。
ドアを開けると、天気も天気だったのか、誰もいなかった。唐突に鳴ったベルの音に驚いたのか、カウンターの中でグラスを拭いていたマスターはほんの少し驚いた風な顔をした。
「スノーボールを」
「かしこまりました」
席に着くなり私は注文を言って、前に来たときにはよく見えなかったマスターの顔を見つめると、ある発見があった。父にそっくりなのだ。新鮮な感動が凍えていた身体を溶かし、間もなくできあがった冷たいカクテルに少し身体が引き締まる。
「おひとりですか」
「ええ」
「珍しいですね。こんな日に」
「こんな日だからなんです」
「ほう」
父親似なマスターとの話は尽きなかった。一人でいることの多い私は、自分がこんなに話すことの出来る人間だったのかと思うとすこし意外で、随分気をよくしていた。
「きっと、お客さんは前髪を上げた方がお似合いですよ」
「ふふ。そうですか?」
ほら、と渡された手鏡には私の姿が映っていて、上気して紅潮した頬にはだらしのない笑顔が現れている。
「飲み過ぎてしまったかも」
いつにもまして、汗をかいている気がした。暑さのあまり着ていたカーディガンやらをいつの間にか脱いでいたらしい。
「そろそろお帰りですか」
「はい」
すっかり打ち解けたマスターに笑顔を振りまいて、私は席を立った。さすがにコートを着る気にもなれず、腕に掛けたままで会計をする間も、手汗に随分手こずらされた。
「ありがとうございました。またのお越しを」
「はい。また今度」
雪の街にいる割には、身体が凝り固まるように寒いというよりは、なにやらふわふわと緩みきっているような気分だった。先ほどの刺すような痛みは全くない。
信号にさしかかったところで、私はようやく異変に気がついた。指先の感覚がないのである。身体が石にでもなってしまったかのようなこの硬直は、瞬く間に末端から中枢へ広がった。
「………………う」
汗が凍てついている。酒が入ったせいで感覚が麻痺していたのだ――と、そう気づく頃には、私の半身はすでに凍り漬けになっていて、最早一ミリたりとも動くことさえかなわない。
叫ぼうと口を開けようにも、唇がくっついて離れないのだ。そのうち意識が遠のき始めて――まるで冷凍マグロのごとく、私は交差点の角に直立不同でいた。
脳髄まで凍っていくような感覚。しかし寒さはもう感じない。意識がいよいよ頭を離れて、薄く引き延ばされ、とぎれ、て、
私は、冷凍人間になった
水野研究員は201█年の[削除済み]事例により、26歳以後生物的な経年は止まっていると主張しています
—水野研究員の人事ファイルより
「ごはんごはん…」
唐揚げ定食を抱える来栖の表情は、いつになく穏やかだった。昼食は普段よりも多少遅れてしまったが、そのほうがかえって食堂も空いている。
それでも来栖は、周囲の人からなるべく離れた席を選んで座った。「いただきます──」目の前の唐揚げに手を合わせ、厳かにお辞儀をする。
机上の割り箸を取って、力任せに2つに割ると、見事に上の部分が片方に残ってしまった。だがそんな些事にいちいち気を回さない来栖は、いよいよ揚げたてのきつね色に輝く唐揚げに箸を伸ばす。
「虎屋博士ですか?」
小声で一度確認してみるが、返事はない。しかし、まだ食べることはできない。
以前小声で確認して返事がなかった時、実は寝ていただけの虎屋博士を来栖が齧ってしまうという事件が起きていた。だから、ここはもう少し大きな声で確認しなければならない。
「もしもし虎屋博士ですか!?」
食堂中の視線が背中に突き刺さるのも構わず、来栖はこれが唐揚げであることを確信した。
「よし……」
揚げたての香りがすぐ鼻先まで迫っている。箸から滴り落ちる肉汁がきらびやかに皿の上を彩る。来栖にとって最も幸福な時間が訪れようとした、その時。
「難儀なことだね、来栖くん」
不愉快が大気を伝ってやって来た。黒いトレンチコートが硬直する来栖の隣に、大儀そうに腰を下ろす。
「ところで、一体いつから財団食堂はお子様ランチを提供するようになったんだね?」
唐揚げが、箸の間をすり抜けて落ちていく。湯気立つ至福が皿に叩き落とされるよりも早く、来栖の操る二本の割り箸が大和の両の眼球を刺し貫いた。
普段鉢合わせれば逃げるばかりであった小娘が見せたこの敏捷さに、大和は驚きの声を上げる暇もなかった。殺意の木片が眼球からさらに脳にまで達し、たちまち至福の時間に茶々を入れた男が絶命する。
座った椅子ごと後ろに倒れていく大和を無感動に見やった来栖は、再び割り箸入れに手を伸ばす。そしてまた大雑把に割ると、返り血によって台無しにされた唐揚げ定食を発見した。
ハイヒールを二、三度叩き込まれた死体を背に、来栖は用途を失った割り箸を握りしめたまま、とぼとぼと食堂を後にする。
その日、虎屋博士の眼球にも割り箸が突き立てられるという事件があった。「空腹だった」と、犯人の女性職員は供述している。