死体の重み

「12棟A廊下で、大和博士の死体が放置されたままの状態です。苦情が殺到しています。いますぐ、取りに来て下さい」

「……畏まりました、ハンス様。早急にお伺いしたいのですが、現在私は10分前にご連絡いただいたクソデ……大和博士の死体の処理に取り掛かっている段階でございます。お手数ですが、その死体はハンス様の方で処理していただけるようお願いいたします」

清掃員ハンスさんから、了承の返事を貰った私は溜息を漏らしながら、PHSの通話ボタンを押し、ポケットの中に入れました。目前にあるのは血深泥になった廊下と、血塗れになった壁に、血溜りの中で横たわるふくよかな身体を持った黒い白衣の男性がいました。眉間に皺を寄せ、些細ながらも非常に煩わしい苛立ちを自覚します。その感情は純粋に大和博士を殺した殺人者に対しての鬱積ですが、一般的な意味とかけ離れ異なったものであることは否定できません。否定するどころか、寧ろ肯定的に頷くことができます。

私の苛立ちの理由は、次々相次ぐ大和博士の死体処理に嫌気が差したからでした。研究員や博士、エージェント、事務員等様々な役職の方々が大和博士を殺します。彼らは単純に大和博士を殺しただけで終わりますが、死体処理という皺寄せが一気に押し寄せ、日々の業務さえ覚束なくなりかけている私を考慮してくれることはありません。それどころか死んでも死に切れない大和博士の亡骸に不快を感じ、先ほどのハンスさんの電話のように急かすことすらあるのです。

私は革手袋をきつく嵌め直し、今回は珍しく刺殺された大和博士の死体の傍にしゃがみ込みました。胸元にナイフが刺さっており、的確に心臓を一刺しにしています。胸部から大きな血の流れが出来、廊下をぬらしていますが、怪我は胸部だけではありません。見れば大和博士の頭部が砕かれ、脳味噌がはみ出していました。壁に飛散した血液は、頭部の挫傷による暴力の名残なのでしょう。

今回の死体は胸部にしろ頭部にしろ余計な負傷箇所はなく、本当に綺麗な殺し方でした。トテモ素人とは思えない殺し方でしたので、きっとエージェントが殺したのだろうと考えながら、死体搬送用のシートを広げます。大和博士がシートの中央になるように被せ、黒衣の背中を掴み死体を倒します。自然、シートの真ん中に博士がうつ伏せになる形に納まります。博士が倒れるとき、ナイフの柄が固い廊下と擦り合った所為か、不快な音を耳にしました。若干顔を顰めながらも、ナイフは埋めるときに抜き取ることを決め、大和博士を丁寧に包みます。

ここまではさほど大変な作業ではないのですが、次の手順が大変です。私はこの肥満体を霊安室まで運ぶ必要があるのですが、死体用の台車は蓄積した一週間分の大和博士を埋葬するべく、他の方が使用している最中でした。ここから霊安室まで普通に歩いて15分ほどかかるのですが、それがどれだけ大変なことか云わずともご理解いただけると思います。

PHSで清掃員の方に廊下が汚れていることを報せた後、シートに取り付けられている紐を引っ張り、ズルズルという音を立て廊下を進みました。2m進んだところで、ポケットの中にいれていたPHSが甲高い電子音を立てます。足を止め電話に出ると、掛け主はエージェント西塔さんでした。

「中庭でクソ野郎が倒れている。昨日の夜からあるみたいだ。早く取りに来てくれ」

「……申し訳御座いません。今、大和博士の死体を霊安室に運んでいる最中でございます。最低でも40分は掛かりますので、早急に伺うことはできません。……あの、すみません……西塔様に依頼すべきことではないと重々承知しておりますが……博士の死体にシートを被せてくださいますよう、お願いしてもよろしいでしょうか?」

「なんで私がしなくちゃいけないんだ。手や服が汚れる」

それは単純に血液や体液で汚れることを避けるというよりも、大和博士に触れたくないため云った言葉のように思えました。それを云うなら私だって触れたくありません。

「すみませんが、西塔様からご連絡頂いた少し前にハンス様から同様の連絡を受け、そちらの方を早急に片付ける必要がございます。私は身一つしかございません。お召し物を汚したくないお気持ちは解りますが、それでも手を貸していただけませんか?」

「……わかったよ。死体を包むだけでいいんだな?」

「ありがとうございます。お手数おかけいたします」

廊下と中庭……たった数分で仕事が増えました……が……これは悲しいことですが、いつものことです。たまには一日でも良い、大和博士の死体回収の電話がない日がこないだろうかと羨望を抱き、できるだけ早く霊安室へと歩を早めました。
 
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「……ですから、その大柄な態度と不遜な口調に不快な言葉をほんの少し、ちょっとの努力でも構いません。控えてくださいませんか、大和博士」

場所は大和博士の研究室。部屋は何かの収容違反が起こったかの如く大破破損破壊された部屋に、悠々と煙草を吸い、ゆさゆさと肥えた腹を揺らしながら、ニヤニヤと笑い、私の顔を見ていました。

「何故?」

「あなたの一挙一動、瞬きすら皆様方に不快な感情を与えているからでございます。不快故に皆様があなたを殺したがる。殺すと死体が増える。増えた死体を私が回収する。ここ最近、余りにも雑務が増え過ぎでございます。好い加減、本当にどうにかしてくださらないとDクラスの回収ですら支障が出ます」

そう云われてもなぁ……とねちっこい口調が、鼓膜と感情を刺激します。大和博士は煙草を灰皿に押し付け、こう続けました。その灰皿は……チョウド人を殴打したかのようにへこんで見えたのは気の所為でしょうか……。

「私はホラ……見ての通り、肥満が祟って俊敏に動くことはできない。身体に比べて頭は俊敏に働くが、それだけだ。いや、私は誰に何もしていないのだよ? それだのにみな挙って私を殺しにくるから堪ったものではない。私だって本当はキミ以上に困っているんだがなぁ」

「何もしていないから、そうなるのではございませんか? クソデブ様」

「怒るなよ。私に八つ当たりをしないでくれ」

「……。では大和博士、こう致しましょう。あなたはこれから霊安室に待機し、日常の業務をこなす。そうすれば私がわざわざ死体を回収する必要はございません。あなたが殺され死ぬことは自然の摂理でございますから、その点に関して何も申し上げません。ただ、場所を移動してくれれば、私は大変助かります」

「オイオイオイ、オイオイオイ。私があんな冷たく寒く暗い部屋にずっと篭っていろと? そこで業務と雑務を務めろというのかね、キミは」

「オダマキさん、良い考えとは思いますが博士が担当しているオブジェクトの機密情報もありますし、それは無理だと思います」

破損したドアの片付けをしていたハンスさんが、そっと声をかけました。大和博士は「そうだとも」と云いながら、胸ポケットの中に入れていた煙草を取り出し、火を点け煙を楽しみます。

……何も変わりそうにない……。

私は頭を抱えながら、諦観を覚えました。……そもそも大和博士に直談判しても態度は改善されず、訴えた努力は報われず、何も変わらないことは容易に想像できていましたが、それでもショックを受けました。大和博士にこうして訴える以前は、彼を殺すのを控えるよう上層部に願い出たことがあるのですが、誰も乗り気ではありませんでした。資材消費における経済面の問題と、衛生観念における清潔面の事態を紙面で提出しても、「職員の士気向上」という理由で一蹴されてしまうのです。私は皆のストレス発散によって、苛立ちと疲労を蓄積するだけの毎日を送るのでしょうか……それは幾ら何でも嫌です。

「……では、その豊満な肉体の重量が身に堪えます。減量していただけないでしょうか」

「やたら嫌味臭い口調だな。しかし、食事は唯一の趣味でね。デブの格言の中に一食でも抜いたら餓死するというのがあってだな、食事を控えることは死になれた私でも流石に無理だ。腹の虫は阿鼻叫喚、身を包む脂肪は豊かさの鎧、腹八分目は牽強付会な脅迫でしかないのだよ、分かるかね?」

「うるせぇよ死ね」

口が裂けても『殺す』とは、死体の重みを知っている私から云えませんでした。これ以上何を話し、どう懇願しても時間の無駄でしかないことを悟り、壊れた部屋から出て行くことにしました。
 
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「オダマキさん、少しよろしいでしょうか?」

大和博士に直談判してから数日後のことです。個人ルームで事務処理をしていると、ガーデルマンが訪れました。私は突如現れた彼に驚いたことは云うまでもありません。中々珍しい人が来たと思いながら、部屋に案内しました。ガーデルマンは手ごろな大きさの白い箱をテーブルに置きます。

「それは何ですか……?」

「ケーキです」

「……ケーキ……」

「実はオダマキさんが大和博士の研究室に来てから、彼に悪いから何か差し入れでもするよう、こうしてお届けを。あらかじめ云っておきますが、店や品は私が選ぶよう博士から云われています。『私が選んでも、不快に受け取る。差し入れの意味がないからな』ということです」

「はぁ……」

「このケーキは本当においしくって、私のオススメですよ。どうです、食べてみませんか」

「そういうことなら、いただきますけど……」

彼の云う通り、大和博士からの差し入れであるならば、私はキット口にせず誰かにあげていたことでしょう。見透かされていることに不愉快を覚えながらも、ガーデルマンが薦める白い紙箱を開くと、カップケーキのような形状をしたチョコレートケーキが入っていました。金箔と思わしき粉末が降りかかり、鏡のような光沢を見せるそれはお菓子というよりも宝石のようです。私は備え付けのフォークを手に取り、一口だけいただくことにしました。

「……」

……単純に甘いだけでなく、花のようなと形容したくなる香りが口の中いっぱいに広がりました。まとわり付くというよりも軽やかに流れるムースと表面に塗られたチョコが通り過ぎます。甘い物が苦手な人でも、或いは堀田博士のように甘党な人間でも問題なくスイスイ食べることができそうなケーキでした。一口、二口と食べ進めるにつれて、奥か真ん中に苦味が深いどろりとしたチョコがあり、これまで味わった甘さと合わさって……。

「ね? 美味しいでしょう?」

「まあ……美味しいとは云えなくもなくなくなくなくなくなくなくなくなくはないです」

「……素直に美味しいと云ったらどうですかね」

「不味くはありませんね」

もう一口食べようとケーキを切り分けたところで、ガーデルマンの携帯が鳴り響きました。「失礼」と彼は断りながら電話に出ます。私はガーデルマンの会話を聞くつもりは一切なかったのですが、電話先の大和博士の大きな声が……どことなく機嫌の良さそうな音調が入ってきました。

「やぁ……ガーデルマン、お使いは済ませたかね? あのケーキを葬儀屋に渡したかね? 砂糖の流砂の一抹にすら文句を付け、クリームの水泡の一滴にすらケチをつける私が美味しいと認めるケーキをご賞味いただけたかね? 私も今、貯古齢糖(チョコレート)ケーキに舌鼓を打っているのだが、これはいかん。大変に旨い。非常に美味だ。早く帰ってきたまえ。きみの分も残すつもりだが、あんまり遅すぎると全部食べてしまうかもしれんぞ。食欲の秋だからなぁ」

「あ、あのちょっと……声が大きい」

「うん? どうかしたのかね?」

「今、彼が目の前にいて……」

「あー……。まあ、頑張りたまえ」

ガーデルマンは、冷や汗をかきながらどことなく引きつった顔で私の方を見ていました。その視線は先ほどの電話の内容を耳にしたかどうかを訪ねているようでした。

「あの、美味しかったでs「不味い」

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