手を貸すということ

ある真冬の深夜のことです。分厚いコートをびっちり締めて、身体を縮こませながら外と変わりない湿度の廊下を早足で進んでいると、エージェント・ヤマトモさんが横たわっていました。全身真っ黒な服装にエナメル質の輝く両手足が投げ出され、近くにアルコール濃度の高い酒瓶が転がっていることから、酔い潰れていることが分かりました。

足を大きく開いて身体を跨ぎ超えようとしたのですが、私はぴたりと動きを止め、上げかけた足を正し、渋面のままヤマトモさんの身体を揺すりました。本来、ここで酔って倒れ、寝ているのは彼の責任であり、私が気を使う必要は全くないのですが、ある事件を思い出したために医者として放っておけなくなったのです。

ヤマトモさんは今年の夏に数度、熱中症で倒れたと聞きました。彼の全身真っ黒な服装と金属で出来た義肢により、手足はアスファルトのように熱され、著しく体力を消耗し倒れたのです。今は冬季ですが、鉄は外気温をそのまま伝えるものですので、四肢の末端が凍傷でやられては大変です。ですから私はヤマトモさんを起こそうとしました。

「起きて……起きてください、ヤマトモさん……ねえ、ヤマトモさん……山本ぉ!」

「う~ん、ヤマトモ……です。俺のなまえをいってみろぉ~……」

「……、ヤマトモ」

彼の意識は夢現なのか、酩酊なのか、転寝なのか判然としませんが、ふにゃふにゃとした小さな声が返ってきました。このまま揺す振り続けたら起きるのではないかしらんと思い、幾度となく身体を揺す振り続けます。しかしその途中で咽喉奥が引っ繰り返るような……丁度嘔吐の気配を纏った音が聞こえてきました。ここで吐かれては大変ですので、私は彼の体を動かす事を止め、ふうと溜息を漏らしました。

「仕方ない……誰か、いないか。誰か……いない。いないな、誰も。……俺が運ぶのか?」

私は自身の周囲を……周りだけではなく、廊下の曲がり角に赴き人を呼んでみましたが、辺りはしじまとしており、静寂だけがそこにありました。冷たく冴えた空気と、真夜中の無言……人を大声で呼んだ所為で、一層寂しくより一層深く強調しているようです。

私はヤマトモさんの両脇に腕を通し、上半身を僅かに持ち上げました。手袋をしても伝わる金属特有の冷たさに背中が大きく震えます。少し小さな舌打ちと少々下品な悪態を吐きながら、そのままズルズルと近くの仮眠室にまで運ぶつもりでしたが、5mも進まないうちに歩を止めました。ヤマトモさんの上半身を聊か乱暴に廊下の床に叩きつけるように投げ出します。何故、歩を止めたのか……それは単純かつとても簡単な理由です。はっきり申し上げるなら、ヤマトモさんの身体は重たかった。私はさほど筋肉を持っていませんが、決して非力ではありません。だけど、人間三人分ほどの重量をしていらっしゃるヤマトモさんを運ぶことに無理を感じたのです。

「義肢……義肢が重たいんだ……」

ヤマトモさんは肥満ではなく筋肉質な体型をしているように思えます。シルエットも異常な手足の長さを除けば人並みなのに、どうしてこのように重たいのか……それは両腕両足に取り付けられた義肢の重量の所為です。非常に勝手ですが、腕の義肢を取り外し、それが不可能なら仮眠室から布団を持ってきて被せようと考え、彼の黒衣を捲くりました。交換や取り外しが前提として作られているのか、見た限りでは簡単に外れそうです。

いけると判断した私はコートの内部に常に入れてある器具、ラチェットスパナ……ネイルハンマー……プラスマイナスドライバーなど、雑多な鈍器を取り出し、義肢の取り外しにかかりました。何故私がこのような医者にそぐわないものを持っているのか……これは拾ったのです、サイト内に落ちていました。元の所有者の検討はついていますが、拝借という形で手元においてあります。いつか返すものですからよろしいでしょう。

重たく、金属同士が擦れ合う鋭い音を立て義手を取り外し。ヤマトモさんの両脇に手を回しました。彼の両腕は肩から数センチのところで途切れており、少々運ぶのは骨が折れましたが、それでも先程よりは遥かにましで、無事に仮眠室に届けることができました。ヤマトモさんを二段ベットの一段目に寝かせ、暖房をつけ、腕の回収のため、再度零度以下の廊下に出ます。

廊下に安置した腕を手に持つと、それは肉の腕より圧倒的に重みの違うものでした。下手したら小さな子供以上の重量があるでしょう。仮眠室に戻った私は腕を眺めているうちにうずうずと、ある我慢が出来なくなっていくのを自覚しました。それは純粋な好奇心です。好奇心は主に義手に対して向けられており、財団職員として働いている職業病ゆえ引く気配のないものでした。

内部構造はどうなっているのだろう……伸縮可能みたいだから層なようなものがあるのだろうか……と、呟きながら左腕を床に置き、右腕を眺め眇めます。外科医として……整形医として義手関係というものは決して無視できない領域です。私は好奇心に忠実になり、分解をすることにしました。ネジを回し、ボルトを緩め、構造を確認し、私はある程度の満足感を得ることができました……が、しかし……充足感を自覚し、すぐそばにちらばっている小さな金属片を見るにつれ冷静になり、私は後悔しました。

「ど、どうやって閉めてたっけ……このネジなに? ……あれ……あれ?」

見た目は同じだが特大・大・中・小・極小とある五十程度の螺子……僅かに大きさの異なる筒状の金属……五指と思わしき小さな破片……同色だが長さの異なるチューブ……私は途中まで組み立てようと記憶を頼りに手を動かしていましたが、いくら器用でも知識がなければどうにもなりません。その内諦め、静かに立ち上がりました。

「ヤマトモさん……右手でお箸持ってたけど……たぶん左利きだった気がする。じゃあ、問題ないね。シラナイシラナイ、ナニモシラナイ」

彼は記憶が度々ないと聞きます。目が醒めた時この状況を自分の中で納得できる理由を独自に作り上げどうにでもなることでしょう……私だとバレなければ良い……。早々に立ち去り逃亡し知らん顔をするため、雑多な鈍器をコートの中に納めている最中……ベッドから低く重たい呻き声が聞こえました。見ればヤマトモさんは顔を挙げ、ばらばらになった右腕を凝視した後、無言でゆらりと立ち上がっていました……。

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