月に叢雲 風に花

エージェント・ヨコシマ
 
東洋人には見られない金髪翠眼の容姿と、愛嬌と優しさが同居した顔立ちが手伝って珍獣めいた物珍しさから、彼に興味を示す人間が一定数いたことは確かだが、馬脚が露れるように奴独特の本領と本性が滲みだしてからその瞬間、ブライドが溶解させた机よりも瞬間的に素早く、三々五々蜘蛛の子を散らすように人が去っていったのは記憶に新しい。
 
彼の人格と性格を一括りかつ簡潔に述べるならウザイという一言に集約し、それ以外に能弁かつ雄弁に物語ることはできない。彼の名誉を保護し、無闇な誹謗中傷を避けるため、ハッキリ明記記載しておくが、奴は悪性悪癖なる性分を一切有していないし、偏屈な性格をしているわけではなかった。
 
では何故、斯様に嫌われて……というよりも、疎まれているのかというと、それは彼がオギャアと生まれる前から習得し、臍の緒の証である腹部の穴よりも強固に根付いた異常性、或いは性格上致し方ないことであった。彼は赤ん坊がご母堂の腹の中で指しゃぶりを習得する以前から、その特性を習得していたと推測される。実際、胤となって母体に宿った瞬間から歓迎されておらず、乳を吸うよりも早く、彼は母親の境遇を考慮しない陣痛と云う形で天武の才を発揮した(断っておくが、児童虐待や長期放置の事実はない。詳細を省く説明になるが状況と環境が悪かっただけである。どんな倅でも子は鎹であった)。
 
彼の異常性は人の邪魔と妨げになることであった。その一点については他の追随を許さず特化し、右にも左にも比肩……というよりも比類する存在は、今のところ確認されていない。唯一無二かつ独壇場の八面六臂から、人は「鳥無き(ヨコ)島のなんとやら」と密かに囁いていた。
 
彼の何気ない動作やさりげない一挙一動が、人様の癪と勘と気に障る。その障りは彼にとっては無自覚で、更に云うならばこちら側が手に鬱陶しいと傍受していることが頭の中で分かっていても、波及する影響は無視することができない。
 
ヨコシマは自身のその異端な能力を自覚し学習しているのか、一箇所に長時間留まることはなかった。彼は人と己のために場所を根無し草に居場所を転々とし、渡り鳥の如く忙しなく移動した。寝食風呂すら覚束ない彼が、飯を食い湯船に浸かり床に入るのは、人気のない時間帯と無人の時に限られていた。温度上暖かいものであるならば、食事も湯浴みも臥所も文句はない。
 
しかし……寂しくないのかと云われれば、侘しさに似た人恋しさを自覚していた。悲しくないのかと訊ねられれば、怒りに酷似した鬱憤を抱えていた。悔しくないのかと聞かれれば、自嘲じみた感情が沸きあがる。自身の鬱陶しさに対して諦観しきれない遣る瀬ない感情と、他者への羨望を自覚していた彼であったが、財団に正式雇用されてから段々と平気になっていった。依頼終了後、後々毛虫を退け、小汚い野良犬を追い払うが如く邪険と無様に扱われるのを知っていても、一時期必要にされ一過性の賛美を浴びることは、正味ヨコシマにとって初(うい)ことであった。
 
財団の雇用前、用が済み次第殺しに掛かった連中と比べれば、何と人道的なことであっただろう。しかしその考えは、底の底が当たり前だと思っていただけであって、財団が親切で暖かい場所かと問われれば首を捻る。客観的かつ真実性のあることを述べるなら、彼の立ち位置は何一つ改善されてはいなかった。あえて云うなら以前よりマシになっただけである。
 
境遇と成り立ちから来る財団への彼独自の認識は、他エージェントの財団への価値観から解離的な現象を発生させていた。財団に限らず、盲点、汚点、欠点を有している個人や団体への客観性を欠いた妄信的な振る舞いは、軽度であってもそれだけで、距離を推し量られる材料となる。秘密裏に、或いは裏面で公に無味乾燥な人への取り扱いを心得ている財団では、ある意味勤務態度に関わることであった。
 
懸念的態度から仲間エージェントがそれとなく注意喚起し、目を明けさせ冷静になるように助言した者も無論いた。助言者の口調は周囲へ配慮するため諭すように述べたこともあり、彼に真に深々と心身へ伝播することはなかった。彼はその口説きを一度や二度ではなく何度も耳にしていたが、価値観はさほど揺らぐことはなかった。というよりも、徹頭徹尾財団特有の乾いたソレを知っていた。知った上で慕っていたため、諭す言葉が通じなかったのである。
 
そんなある日、ヨコシマはあるモノを見た。それは他組織からの襲撃の際に、偶然かつ偶発的に遅れながらも、ソノ現場に居合わせてしまったのである。血の熱と魂の揺さぶりと心の渋さから来る人情的なその情景は、あまりにも悲しかった。人が人間を、同志が同士討ちし、あだ討ちに仇為すが如く、戦場での共食いは多々あれども、これほど記憶に根付き残るものは一生涯ない。
 
……それは……
 
「あぁ……兄様、兄様……あずきは……」
 
一対の男女が擁し合いながら鬩ぎ合っている。桜色の爪をした五指が揃って空をもがく。その様は蒼穹と合わさって、微風に揺れる桜の一枝のよう……。
 
「…………」
 
男は忍(おし)、強く柄を握る。貫き通った刃とその根元から溢れる鮮血が、早急に枯れる赤い牡丹の花弁を思わせた。戦慄く唇から洩れるタドタドしい音調は、いかにも幸せそうであった。実際、その女はしあわせなのだろう。しあわせなのだろう。
 
女の躯がとさりと魂が抜けた分、軽い音を立てて落ちた。蛇面の男は屍骸を抱き抱え直し丁寧に寝かせ、父親が娘の頭を撫でるような、慈しみの感じられる動作で見開いた眼を鎖す。腹の上に両手を結ぶように組ませて、栗色の髪の毛の一房を撫で梳かして手放した。男は、徐々に堅く冷たくなりつつある肉に触れ続けることが出来なかったのである。
 
どうして……とヨコシマは男に尋ねた。どうしてというのは云うまでもない、殺した是非を問うのだ。ヨコシマはまるで独り言のようにソレを呟いた瞬間、「ぼくはどうやっても人の邪魔にしかなれないのだろうな」と、ヒシヒシと己の性を自覚した。後々考えても、触れるべきではなかったと思われる。
 
男は白刃を素早く動かし血振りを済ませた。音も無く鞘に仕舞って、ヨコシマの方を無言で眺める。佇む容姿には威圧感があった。重圧感があった。だが、どうしてだろう……それらの雰囲気とはチグハグに、脆く壊れそうで沈んでしまいそうな物悲しさがヒシヒシとあるのは……。仮面越しでその素顔は見えないが、恐ろしく動揺していることがヨコシマの優れた観察眼による推測できた。それは先ほどの情緒極まった殺人場を目撃しなくとも、一瞥しただけでハッキリと読み取ることができる。それほどの蛇面はうろたえていた。
 
……ややあって曰く……
 
「あの刀は、刃毀れが障じ、錆が浮いて、皹が走り……」
 
死に損なっていたからだ。
 
………………。
 
肢体には先ほど貫いた胸元の他に、脾臓とはらわたと全ての四肢に致命的な裂傷と生傷だけがアリアリと刻まれていた。血に塗れた鮮やかな彩(いろどり)ゆえ、肌理細かい素肌など到底窺えない。女に対した男の行動は手向けだった、手解きであった、手引きであったのだ。男の何と慈愛に溢れ優しさに包まれていたことか……それに比べてヨコシマの不躾で無頼で無遠慮なことだろう……。
 
「しかし……」
 
「コードネーム、好事魔……余所者が口を出すな。部外者がしゃしゃり出るな。邪魔者が俺達に構うな。厄介者が横槍を出すな。俺達は懐刀だが、お前はお庭番だ。忠義も忠誠も忠心も持ち合わせていない財団の風来な渡り鳥が、お家に繋がれた戌のことをとやかく云えようか。手前はただ、他所様の邪魔を余すことなくすればいい。まだ仕事は、終わっていない」
 
最後の言葉は、己に云い聞かせているようだった。その証拠に語るにつれて感情が引き、終いには冷徹なものへ変わっていた。冷徹に徹することは望ましいことであり、その切り替えの早さはさすがというべきだった。自暴自棄とは異なる徹底した無心の心得に、人はあれほど冴え冷めることができるのかと、身震いを憶える。
 
ヨコシマは面を嵌め直し、二、三歩進んでふと背後を振り向いた。見れば、蛇面の男は空を見上げて、紅涙のような血飛沫の飛沫を頤(おとがい)から滴らせていた。ヨコシマが何かを思う前に、男はクルリと背中を向け素早く立ち去った。
 
対してヨコシマは立ち止まり、進めた分の歩み寄りを戻した。戦地のそこには僅かな雑草が転々と座し、茫々と乱れている寂寞の場であった。墓標にすらなりえない終地点に臥す屍骸を眺める。串間あずきとは多少顔見知りであった。少し話しをしたことがある。こうなる以前から、表裏でどのような役割を担っていたのか……そうして、先ほどの男にドレダケ物苦しく狂おしい思いの丈を募らせていたのか、本人から云われずとも勝手に察していた。
 
腹の上で手の平を結び眠るように死んだ姿は、本当にしあわせそうで未だ生きていることを思わせる。生傷を隠すようにただした衣服が、一筋ほつれを許さぬ髪の毛の整えが渾然と合わさって、彼女は転寝しているだけのようだ。……が、足の先から徐々に冷たく堅くなり、緩く閉ざされた目蓋は柔らかそうな見た目に反して強固に開くことはないだろう。
 
ヨコシマは脇差を抜いて、彼女の頭から少し離れた地点にその刃を突き刺した。本当は彼女の薙刀を刺そうと思っていたが、持ち主の状態をあらわすが如く刃が砕け、柄が折れてしまっておりそれは叶わなかった。この脇差は自決用の物ではあるけれど、自害する術など幾らでも持ち合わせていた。毒でもいい。弾丸でも構わない。自死の方法とその作法は心得ている。
 
即席の十字架の元で横たわる女を見て、ヨコシマはあることを想った。こうして彼女のように愛しい人に殺されることは、無上の喜びなのだろうとそう思った。ヨコシマは己の特性ゆえ一箇所に留まることができず、他者と長時間接したことがない。共有も共感も共同も一切なく過ごしてきた。相手方に感情を押し殺してまで殺めてもらえる無上の悦び……複雑ながらも何と羨ましいことか。手前勝手な嫉妬心さえあった。身勝手に逆恨みさえ憶えた。自分はひとりぼっちでくたばるのだろうと常々考えていたからこそ、妬心が燻るのだ。
 
「僕は人の妨げにしかなれないけど、自分の肩が濡れてまで人に傘を傾けることは迷惑なのかなぁ……人の嫌がる淀みを引き受けるけれど、汚濁を貰った僕は厭われるしかないのかなぁ……」

自然と振り返るのは、これまでの過去経歴……迫害とまでいかないが、退くことだけを望まれてきた。憎まれても恨まれてもいないが、最悪に至っていないからこその最悪。孤独になれないその孤(みなし)は、孤立と表した方が適切だろう。しかしヨコシマは知っている。誰も好きになれないこそ、誰にも好かれないということを。いや……彼はどちらかというと、隣人や知人を好いてはいた。誰でも好いてはいたが、誰でも好きということはつまり、特別な人はいないというわけである。結局それは最終的な結論として、誰も好きではないということになるのではないだろうか……。
 
ヨコシマは遺骸に独り言を呟くのをやめて、遣る瀬無い一瞥を残した後、早々と立ち去った。蛇面の男がそういったように、まだ仕事は終わっていなかったからである。死を悼み傷を喘ぎ世を儚むことなど、この先いくらでも出来る。自身の命がどれだけ長く続くか分からないが、それぐらいの時間はあるだろう。
 
 
*******
 
 
場所は博多……ヨコシマはフィールドエージェントとして、異常物の蒐集や情報収集を行っていた矢先、バッタリとエージェント差前に出会った。差前はシャツ1枚に半ズボンといった軽装で、いかにもオフだということが分かる。まるで休日だらしなく過ごす親父のようだなとヨコシマは思った。
 
「よぉ……最近どうだ」
「どうもこうもないかな~」
 
ところでと、ヨコシマは差前の右背後に隠れた一人の七、八歳ぐらいの少女を見遣る。少女はヨコシマの視線に敏感かつ過敏に察知反応し、更に奥へ奥へと隠れてしまった。恐らく、黒髪栗眼色の一般的な東洋人とは異なったヨコシマの容姿にたじろぎおじげづいたのだろう。
 
「娘?」
「ちげぇよ……義妹だ」
「いもうと」
 
挨拶しなと、差前はひどく優しく云った。差前のその声音の柔らかさと温かさにヨコシマは驚きを覚え、吃驚した表情を隠せなかった。それは差前が普通人が持つ、幼子へ対しての対応と態度などではなく、”彼女”に対する口調と全く同一だったからだ。
 
「こんにちは、串間███です」
「……三代目だ」
 
少女の発した朗らかで溌剌とした声とは相反する、念と釘を押す差前の怜悧冷徹な口調……頑是無いものには気付かれないように裏面に現し徹した声音。ヨコシマは心臓がどくんと跳ね上がり徐々に脈拍が速くなりつつあった……が……エージェントはエージェント……不規則になりつつある鼓動を強引に納めながら、少女と目線を合わすため腰を屈めて、挨拶を返す。
 
「はじめまして、███ちゃん。ぼくの名前はヨコシマです。よろしくね、ひよこ豆ちゃん」
「ひよこ豆じゃなくて、███です」
 
少女は鬼灯のように赤い頬をふくらませて、ツンと顔を反らした。ヨコシマはその横面を指先で軽く小突くと、少女は嫌そうな顔を全く隠すことなく差前の真横に戻った。「なんかウザイ」と小言が聞こえてきたが、ヨコシマにとってはいつもの事だったので気にも留めなかった。少女と差前の他愛のない会話もソコソコ、彼はトウトウ気になっていたことを尋ねる。
 
「二代目はわかる。三代目も知った。一代目……?」
「お前は相変わらず人の邪魔にしかならねえよなぁ」
  
どうだって良いだろうと突き放すというよりも、そこに触れるなと云った体で溜息と共に吐き出された言葉だった。ヨコシマは「すまんね、ぼくの性だ」と苦笑交じりに答えたが、それ以上追求することはなかった。触れずにいた方が良いことは先日のアレで学んでいたことだし、説明を求め語られたとしてもその重荷は抱えられない、背負いきれない。
 
少女が不思議そうに首を傾けている様子はあどけなく、そして実際愛らしかった。後釜としてあるだけ、それは先代の串間の様に似ている。ヨコシマは仄暗いことを想像しかすかに追及以外での好事魔多し、下世話な真似にでた。出過ぎたこととわかっていても、記憶の奥底、脳裏にこびり付いた物苦しい悲鳴と虚空を彷徨う五指が、後押し背中を押すため止められなかったのである。
 
「お嬢ちゃん、大きくなったら何になりたい?」
 
瞬間、差前の貌が曇り翳った。少女は気付かずハキハキと答える。私は……と、語り始めたその矢先、差前は少女の腕を強く引いた。差前の秘めた心情としては、あらゆるしらがみから振り解きたい願望がささやかにあったかもしれないが、皮肉かな、それは強く押し戻す動作であった。
 
「爺様が待ってる、いくぞ……」
「ハイ」
 
少女は丁寧に頭を下げ、差前は会釈も目配せもすることなくヨコシマの前から足早に遠ざかる。完全に両者が過ぎ去るまにまに、足元に伸びるのは親子の影法師に似た男と少女の余韻だった。地面に残る暗澹たる人陰は、これから先のことを体現しているかのようだった。二度あることは三度あるものなのだなと、ヨコシマは思った。だが必ずしも判を押したように同じ事の繰り返しになるとは限らない。
 
少女を殺すのは誰なのだろう……それ以前に男を殺すのは誰なのだろう。小柄な男の背中には死の哀愁が漂って、一歩一歩進み影の端がズルズル離れるたび女の髪の毛を思わせた。一糸乱れず解れさえない黒い筆先が真蛇を想像させた。男の背中にしがみつく女の姿を幻視しながら幸福を願った。……せめて禍福あれと。

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